解説者とか評論家とか言われる元プロがチャイニーズタイペイの応援が
すばらしかった、と言っていた。
何をもって、そう言ったのか真意は分からないが、
台湾野球は派手な衣装の若い女性が踊ることが印象深い。
東京ドームでもそうしていた。
グラウンドに背を向け、踊って、煽られた同胞も大声を出す。
大声を出し、試合が終わったころにはつかれていて、やり切った感覚を得られる。
こんなものが素晴らしい応援か。
日本も似たようなもので、応援と称した歌と踊り。
タオル振って、ジャンプして、背伸びして、これが応援らしい。
こんなもので選手に力がわくことはない。
これにより勝利に近づくことはあり得ないということだ。
と言うことはそれを応援としているなら意味は全くない。
応援は選手も欲しいのだろう。
大谷もやたら盛り上がってほしいと口にする。
選手は注目され、大きく取り上げられ、
話題にされればモチベーションは大きく向上する。
これは力になる。
そして球場に観戦に来てくれることが応援だ。
そこで野球を注視し、プレーに歓声と拍手を送り、そのプレーに対して声をかける。
この繰り返しを選手は励みにし、喜んでもらおうと精魂込める。
そしてチームは勝利へと近づき、ファンは感動する。
騒がしいことは応援ではない。
集中している中に生まれる感動こそ応援だ。


