毎日野球コラム - 野球コラムサイト -

闘将・星野の体当たり 高校スポーツのドラマ 判定の総括 俺が9人いたら 今週のダイジェスト

www.facebook.com

https://twitter.com/yakyucolumn

2018-1-8 闘将・星野が審判へ体当たり 選手も審判も生身の人間だから 判定についての総括

‟闘将“星野が亡くなったことで審判へ体当たりしたり、激しく抗議しているシーンが連日、映像で流れてその野球人生にスポットを当てている。選手とともに監督が、その判定で審判を貶めるような態度は間違っている。審判は、正確な判定をして当たり前という仕組みになっているので、多勢に無勢、一気に非を受ける。そして、野球ファンもそこへ加勢していくことになる。だから、最近の監督、特に栗山は判定に納得行かないときは文句を言うのではなく、説明を求めるかのように審判へ近づく。納得いかない、ファンにこのまま続けることを見せられないからというかのようだ。この態度が正しい。

 

2018-1-9 心を動かされる高校スポーツ 高校スポーツでしか見られないドラマがあるから

高校スポーツにはいつも心を動かされる。高校スポーツでしか見られないドラマがあるからだ。特に、大人の方が心を動かされる。10代後半の時の自分とその時の気持ちを思い出す。または、子供を持てば、この子がその立場になったらと思うと胸がいっぱいになる。そして、眼前の現役高校生はどういう気持ち、どういう経験をしてきて今、競技をしているのかと思いを馳せるから応援したくなる。高校生の青春は、この瞬間しかない。もう二度と同じ状況には誰もおかれない。故に、情熱を爆発させる。最も人間らしい瞬間と思われ、こういう瞬間を経験するために生きていると言える。いつもいつもいい文化だ。

 

2018-1-10 ボール球をストライクと言われれば負けを覚悟 判定についての総括Ⅱ

ボールをひとつ選ぶ選球眼だってバッティングのうちであり、むしろ好打者というのは選球眼の良いバッターを言う。1つボールを選ぶことはバッティングメイクをしたことであり、バッティング技術の発揮だ。打席に入る前から、実はバッターの頭にあるのはヒットを打つことよりボール球を投げさせようとすることにあるかもしれない。そうであれば、バッターの技術を発揮してボール球を選んだにも関わらず、そのバッターの戦略プランを審判という、どうにもできない人、本来敵ではない人にバッティングを狂わせられ、自分のバッティングを支配されてしまう。自分のバッティングプランを崩された時点で負けを覚悟しなければいけない状況にも追い込まれかねない。

 

2018-1-11 俺が9人いたら、ぜってー負けねえのに

体格に劣る日本が世界と伍して戦う場面も多い。WBCでも日本が1戦必勝の勝負なら、大敗する試合は目にしない。日本が対等に戦うことができる最も大きな理由は、野球が多くの道具を使うスポーツだからだ。道具を使うことで体力勝負にならず、経験や技術で対抗できる。次の理由が、野球はピッチャーに拠るところが多いから。ピッチャー対バッターという図式の時、スタートの時点でピッチャー有利でできている。ピッチャー主導で始まり、バッターは勝手にミスしてくれる。バッターの成功は3割。7割のうちピッチャーの成功というより、バッターのミスショットというものが圧倒的に多い。そして、さらに、ゲームとしてのルールが存在するので、それを巧みに利用することで勝負が成立する。だから、体力に劣っても勝っちゃうことがある。

 

2018-1-12 続・俺が9人いたら、ぜってー負けねえのに

そして1人で9ポジションならば、守備力が大いに戦力となり生かされることになる。そうなると当然、足や肩が備わっている選手がいい。そう考えると、ピッチャーができ、総合センスの高い選手が9人いることが強いチームになろう。イチロー、大谷、菊池、糸井、柳田、ダルビッシュ、前田健太あたりが9人いたら強そうだ。このメンバーにホームランバッターは必要か。1試合で1本出るかわからないバッターを一発勝負で必要かってことだ。必要ない。

www.facebook.com

https://twitter.com/yakyucolumn

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

傑作コラム

TOP