判定において大事となってくる納得をプロは映像による確認ということで示した。
映像は事実を映し出していることに疑いを挟む人はおらず、冷静に落ち着いて
振り返ることで敵も味方もファンも抗議している人も全ての人が納得したのだ。
もともと、不可思議なルールがいっぱいある野球だから。
同時はアウトかセーフか。
目に見えないスリーフィートライン。
手首が返ったらスイングとは書かれていないハーフスイング。
言い出さなければそのまま素通りというアピールプレー。
ボークも国際戦ではあまりに違う。
コリジョンだって主観であり、判断が難しい。
判定の間違いがクローズアップされる今は、「審判に制裁を」とか、「審判のレベ
ルが落ちた」とか、「誰々は、ひどい。」とか、審判非難が目立つ。
インターネットに乗せて、全ての人から意見・指摘・異議が広がる審判は精神を
蝕む事だろう。
それは、審判は正しいことをして当然だからだ。
政治家と審判は褒められることはほぼなく、誤りには集中砲火。
しかし、審判の力量が落ちたわけではないだろう。
一人の審判の加齢とともに判断が鈍るというのはあるかもしれないが、全体のレ
ベルは落ちまいと思われる。
それよりなにより、一瞬で判断する判定は間違える場合があるに決まっているということ。
そこは仕組みの問題であり、一人の人間の責任ではない。
それを解消しようと今は、機械導入という形でひとつの答えを出した。
これは、野球に限ったことではない。
ワールドカップでも、観ている側が納得することが多いVARという仕組みによって、
リプレー検証してみると、「あー手に当たってるねー」とか「押ししてるよ」と
か「あー、オフサイドだわ」と。
文明への信頼によるということだ。
この流れは加速していくことになり、人の一瞬の判断を失くすように変わっていく。
いわゆる、“いってこい判定”、“流れアウト”といったものは全く不要であり、感
情の入る余地のない正確だけでいい。
多くが納得し、文句を言わないのなら、正確のみを是とする判定を機械に頼るのはいい。
ただ、この場では副審制がいいと記してきた。
野球界が採った方法は機械によるものだった。
副審制にしても機械にしてもなにより大事にすることは納得だ。
双方納得した判定こそを優先してよく、その代表の”タイミンアウト”はあっていい。
納得いかない判定がまかり通っていたこれまでは、優勝チームもそうじゃない可
能性があったということになる。
10.8決戦において1勝差で優勝した巨人も、10.19決戦で優勝を逃した
近鉄もシーズン中に有利不利な誤審で1つ勝敗が違っていたら、優勝チームは違
っていたことになる。
勝敗を敵ではないはずの審判に支配されてはいけないわけだ。


