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時代によって変わる野球の慣わし 再録

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巨人主催の日本シリーズが大阪ドームで行われたことがあった。

プロ野球開幕からシーズン、日本シリーズに至るまで日程がままならず、11月

の東京ドームを確保できなかったからだった。

この時、東京ドームでは都市対抗が行われていた。

日本シリーズは土曜日に始まり、2戦をやったところで移動日、そこから火、

水、木と3連戦で金曜移動日、土日で6,7戦となる。

過去に1度、1986年の西武と広島の日本シリーズで8戦まで行ったことがあ

った。

広島市民球場での初戦、東尾が広島打線を0封して2点をリードした最終回、完

封目前で小早川、山本に連続ホームランを許し、同点。

結局引き分けとなった。

日本シリーズは4つ先にとった方が制することになるので、4つ西武がとるのに

8戦を要した。

落合が中日監督時代、ロッテとの日本シリーズ、両チーム首脳とNPBとのルー

ルや運営についての事前ミーティングで7戦全て引き分けだったらどうするの

か、という質問をしたことがあった。

勝負を預かる指揮官としてはいろいろなことを想定して戦略を練るのでそういう

ところまで配慮するのだろう。

いかにも落合らしい、発想だ。

ただ、ここまでいくと難癖だ。

今までにすべて引き分けはないし、長いプロ野球の歴史で年間20数試合戦う同

一カードでさえ1シーズンで7つも引き分けがあることなどなかっただろう。

ということは、これは可能性が0であると考えていいわけだ。

そんなことにまで配慮してルールをつくらなくていいことになる。

たとえ、7つ引き分けたとしても事が起こってからどうするか考えても間に合

い、そもそも取り決めていないことならどちらにも有利にも不利にもならないか

ら問題ない。

そして、たかが娯楽の野球には、この程度のことはコミッショナー裁定でどうす

るかを決めればいい。

1981年の日本シリーズは共に後楽園を本拠地とする巨人と日本ハムとなった

ので全て後楽園を舞台とした。

初戦と2戦目が日ハム主催、3戦~5戦を巨人、6,7戦が日ハムだった。

そのため、主催となる時はホーム用の白を基調としたユニフォームを身に着け、

ベンチは一塁側となった。

3戦目から入れ替わり、6戦目からまた入れ替わる方式だった。

このホームとビジターの取り扱いが最近は決まりがなくなったようだ。

シーズンではホームチームが三塁側に入ることがあるし、ホームゲームでも濃い

色のユニフォームを纏う。

以前は、ホームチームが一塁側、ビジターは三塁側と決まっていた。

ホームチームは白を基調としたユニフォームで、ビジターが濃い色と決まっていた。

この決まりがなくなったことで・・・

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