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無名から巨星へ 青学圧勝劇

青学完全優勝の圧勝劇だった箱根駅伝。

 

最近はテレビ中継技巧の妙により

タスキ中継所の選手の生の声が聞こえる。

 

タスキを渡した選手と

それを迎える選手や関係者が話す声が聞こえてくるのだ。

 

「お疲れ。お前よく走ったよ、何分詰めたよ。」

「お疲れ。OK。OK。大丈夫だ。」

「お前のせいじゃないよ。」

「お疲れ。区間賞の選手と○○地点で何秒差だったよ。」

 

などその内容は、

秒単位でレースメイクし、チームの目標を成就することに重きを置く

駅伝ならではの会話でおもしろい。

 

 

一昔前の青学は、箱根で走る姿すら見かけることはなかった。

 

それが、走るのみならず、優勝し、

さらに完全優勝するほどの圧倒的な力をどのように身につけたのか。

数年前は廃部寸前だった部が。

 

今年は、1,3,4 7,8,10区で区間賞。

区間賞でなかった5区、6区は区間2位。

 

6区は区間新が出て、1位とは22秒差。

22秒といえば、130m~135mくらいの差。

1キロごとに1秒の差が出た感じ。

区間新が出たにもかかわらず

たいして差を広げられていない。

 

1年生が、この区間新が出た6区で快走した。

2区は区間3位。9区がややブレーキとなっただけの圧勝だ。

 

青学は、

自由な雰囲気でそれまでの箱根出場校にある悲壮感がなく、

先輩、後輩の垣根をとっぱらい、のびのび実力が伸ばせている

などと言われる。

 

チャらいと表現され、他校からは疎んじがられている部分があるが、

それが、いまの若者には合っているともされている。

 

しかし、そんなことくらいで

ここまで強くなるとはとても思えない。

 

もちろん、

能力の高い選手を全国から集めてきたことが第一要因であろうが、

名門でない青学がどのようにして選手を集めたのか。

 

短期、中期の目標をたて、計画してきたことという。

 

短期の目標で箱根出場を達成させ、

一度箱根に出場してからはブランドがつき、

さらに監督の出身愛知から良い選手が集まるようになったそうだ。

そして、

自由な校風により選手が魅力を感じ、層を厚くしていったとのこと。

 

トレーニング方法にしても、選手の勧誘にしても、

広報活動によるブランディングにしても

本腰を入れて、お金をかけたということだ。

 

それが、浪費に終わらず、結果としてうまく回った。

本腰を入れ出したのが2000年頃ということなので、

15年かけて結実したことになる。

 

最初の5年ほどは大変苦労したそうだ。

その後は、順調に回転し、

15年後には誰も寄せ付けないほど突出してしまった。

 

浪費に終わるかもしれない資本投下を辛抱強く、

計画をたてて実を結んだことは、すべてのスポーツに参考になり、

スポーツのみならず、参考になる取り組みだ。

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