毎日野球コラム - 野球コラムサイト -

人間・白鵬と横綱・白鵬 千秋楽結びの一番

千秋楽結びが変化で終わったことにより、また噴出した横綱の意義。

 

テレビ解説をしていた北の富士も言っていたが、

横綱が変化をするなんてことは、かつてはなかっただろう。

私には記憶にない。

 

私が知る最古の横綱は北の湖だと思う。

輪島は見たような見ていないようなという感じ。

 

プロレスラー輪島ははっきりと見たが。

 

私が知る横綱

北の湖 千代の富士 隆の里 双羽黒 北勝海 大乃国 旭富士

曙 貴乃花 若乃花 武蔵丸 朝青龍 白鵬 日馬富士 鶴竜

 

変化があるのは朝青龍以降に思われる。

 

相撲はスポーツではないので勝つためにする手段が問われてくる。

横綱に変化は許されないのだ。

 

今回、

ルールで許されているのだからいい。とか

それならルールを変えなきゃ。

とかいう声が聞こえるが、これはスポーツの話。

相撲にはこういう発想は当てはまらない。

 

人生に通ずる相撲道として道を極めていくのが相撲であり

勝敗を競っているわけでは無い。

 

勝敗を目的とするスポーツとはそもそもの概念が違う。

 

白鵬が優勝回数や勝利数を目標としてよく口にするが、

かつての横綱からこういった俗な発言は聞かなかった。

 

貴乃花は相撲一家に育ったがゆえに、その人生を

相撲に賭けた。賭けざるを得なかったという印象を持つ。

 

だから注目を浴び、人気者になることがわかっていながら

つらい環境に飛び込んだ。

そして見事大横綱になるまで精進した。

 

その相撲人生は、相撲発展のために尽くしたという印象があり、

本人としては苦悩の連続だったことが想像できる。

 

若乃花も弟が決心したのだから、それを守ってやらなければと

一緒に入門を決意したと聞く。

 

特に若乃花は相撲への情熱は、さほど大きいものではなかったようだ。

 

横綱昇進時は「断っていいですか。」とその名誉より

責任の重さを回避したがった。

引退後は、その重責から解放されたかったのだろう

相撲協会から離れ、タレント活動に精を出している。

 

このように

相撲は出世するごとに責任が増してくる。

 

精進し、実力をつけ、番付を上げ、身分が高くなるほど

ほとんどが責任のために続けるということになるのだろう。

 

 

だが、白鵬には一連の言動からいまだに相撲そのものを愛し、

何ができるかを求めているとも感じるのだ。

 

優勝から遠ざかっていることからどうしても勝ちたいという

気持ちがあったり、

猫だましなどの技が本当に実践で通用するものなのか。と

試してみたり、

究極の技・後の先に挑戦してみたり、と。

 

こうしてみると

大横綱になってもなお相撲を愛しているのは白鵬のように感じる。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

傑作コラム

TOP