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朝青龍、日馬富士と横綱が暴力沙汰で去っていく 今週のトピックス

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日馬富士が引退したことでTVショーにおける題材の域を出て、社会のトピックと変わったので

この場でも取り上げてみよう。

 

元横綱・北の富士がある記事で

「気を引き締めていかなきゃいかん。八角理事長も就任して2年で興行成績で満員が続いて人気が上がっている。そこで思ってもみない事件が降りかかった。どこかに気の緩みがあったと思った方がいい。一丸となって立て直してほしい」と苦言を呈した

という内容のものを目にした。

気の緩みと言うけれど、他の力士からしたら全く関係ない話だ。

土俵から離れたただの個人の話だ。それを力士全体とされても迷惑。

個人の刑事事件を相撲界の不祥事に発展されて、他の力士の人生が左右される。

協会の闇だの、理事選の遺恨だの、改革だのといったことに飛び火、利用された形となっている。

 

傷害事件の内容は、

不敬、不義理への戒めとしつけが、さらに横綱の地位によるパワハラにつながったということのようだ。

貴ノ岩が被害者というが、貴ノ岩の無礼がこの事態にいたった。

貴ノ岩本人からしたら、自分の行動が横綱の人生を変えてしまった。という恥ずかしい気持ちで

いるのではないか。被害者と言われることに恥ずかしい気持ちがあるのでは。

被害届を出したのが貴ノ岩でないことと、

日馬富士引退でこれ以上追求しないでと言っているのはそういうことだろう。

 

手を出してしつけすることは当然あることだ。

これは暴力ではない。

痛みを伴うものは全て暴力とし、どんな理由があっても暴力はだめというのはポピュリズム。

手を出したいほど腹の立つ図々しい奴は毎日のように目の前にいる。

なぐったろうかと思う奴は誰でも1人や2人ではないだろう。

そして、相手を撲ると書いて相撲だ。

張り手やかちあげなどダメージを加える行為が容認されている相撲に、

しつけや説教で手が出た途端に否定などできるはずがない。

相撲という競技とそこから離れた場では違うなどという理屈は通らない。

しつけには時に手を出していいし、死刑制度がある日本でこの理屈は通らない。

 

だが、モノを使って殴り、頭を割ったことでもうダメだ。

しかも一度で終わらず、何度もというのは常軌を逸している。

横綱という立場からして引退もいたしかたない。

そして、引退したことで責任を果たしたことにはならない。

傷害事件の加害者であることから、これからはそちらの罪を償わなければならない。

 

そもそも、普段はまわしいっちょの肉体でぶつかり合う相撲取りが、こういうときだけモノを

使いだした行動が理解できない。訓諭するならモノを使うなどという行為にならないはずだ。

この時点で相撲取りの、横綱の資格がない。

 

事件の近くに九州場所があったことで、誰もが口をつぐんでしまい、

TVショーを筆頭に憶測や推測を呼ぶ絶好のごちそうとなってしまい、事を大きくしてしまった。

モノでけがを負わせたのなら黙っていてはダメだった。即座に反省の意、謝罪の意を示さなければ。

 

TVショーでは早く収束して相撲で楽しませてほしいとか、

相撲界の行く末や力士たちの未来を心配している声をよく聞いたが、

騒ぎ立てているのはマスコミであり、こういう話題で世間が喜ぶことを知って煽った。

世間もスキャンダルとそれを複雑な人間関係や遺恨に発展させることを楽しんでいる。

 

収束してほしいなら、放っておけばいい。

暴力事件は傷害事件として解決する必要があり、その後、組織として当事者を処分とすればいい。

協会の内部に問題があるなら、この事件がらみで蜂起せず、この一件も一つの事例として取り扱い

提起して、外からはそれを見守るという姿勢をつくってやればいい。

 

日馬富士はもちろんのこと貴ノ岩も、このような大きなことにはしたくなかったはずだ。

ただ、モノを使って傷を負わせたので沈静にはできない。

これが平手ではたいたり、げんこつで殴る程度なら何ら問題にはならなかった。

 

責任のなかったはずの相撲協会が謝ること自体が閉鎖的であり、

自分たちの組織に外部の力が及ばない内なる組織にしたいと言っているように聞こえる。

そこには権益があり、それを手放したくないということ。

 

関取が問題を起こすと、それがどんな類のものであろうと必ず噴出する角界の閉鎖性や慣習への批判。

相撲協会への批判や責任ということをかわすために、事が出来るだけ大きくならないよう、

また早く沈静するために首を垂れるのか。本来、協会に責任はない。

関取同士の出来事で、居合わせた人間が皆、相撲取りだから相撲界全体の慣習の悪さ、

責任ととられがちだが、1人の人間の傷害事件をその所属する団体の責任にまで問えない。

 

弁護士がタクシーで狼藉を働いても弁護士会が謝るなんてことはない。

会社の社員がプライベートで刑事事件を起こしても

役員が謝り、管理責任を問われるなどということはない。

高校野球には、1人の不祥事が全体で責任をとらされる理不尽が通っている。

 

刑事事件として処罰し、団体としては処分を下すというのが一般的なはず。

事件を取り締まる警察が事件を起こしたら、幹部が頭を下げる。当然だ。公僕だもの。

そういう意味では公益法人だから責任がありという言い方もある。

だとしたら謝る理由は、やはり権益にしがみついているからだ。

 

酒席での事件にまで、協会としては管理できません。と言えばよかった。

それを謝るから協会の闇だの膿だの体質だのという話になる。

以前に起きた弟子の死亡事故は相撲界で責任をとらなければいけない問題だったが、

朝青龍の暴行事件、日馬富士の暴行事件は個人の資質による問題なのだから協会は

頭を下げることから始まることではなく、毅然として対応すべきことだ。

協会としては事件を遺憾として取り扱い、

力士にどう行動するかを力士側から前向きになるよう促す態度で臨んだらどうだ。

 

相撲協会が復活する必要はない。

ファンが見たいのは相撲であり、力士であり、白熱した取り組みだ。

そして、古来の伝統を継承すること。

相撲協会である必要はない。他の誰かがやってもいいし、相撲のOBが仕切らなきゃいけない必要もない。

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