毎日野球コラム - 野球コラムサイト -

過去から未来へ 文化の守り人たらん 今週のトピックス

www.facebook.com

https://twitter.com/yakyucolumn

 

貴乃花親方のメッセージ

1月30日の「1月場所が終わって」という貴乃花のこのメッセージ。

この場で記したことの多くが含まれていた。

貴乃花は光司少年として相撲一家に生まれ相撲の道をずっと歩んできたから、こういう境地に至ったのだろう。

だから注目を浴び、人気者になることがわかっていながら、つらい環境に飛び込んだ。

そして見事、大横綱になるまで精進した。

その相撲人生は、相撲発展のために尽くしたという印象があり、

本人としては苦悩の連続だったことが想像できる。

まさに文化の守り人たらんと心が豊かになっていったのだろうと、この文章からしみじみ感じる。

 

不祥事続きの相撲界と言われがちだが、相撲界全体の問題なのは部屋の弟子の暴行だけだ。

しかし、これだけと言いつつ、これはとても大きな問題だ。

 

いつも会社の管理とか、役員とか社員とかを持ち出して比べる。

違う。もちろんそれに通ずる面もあるが、そこを持ち出さず言う術を知らない表現のなさに過ぎない。

例えると、と言うと、その例えがあたかも正論のごとくなるが

本質を異なったものを組織という言葉が共通するからと言って比べても詭弁に帰すだけ。

 

公益法人になったのは、守るべき文化の継承者たちだから。

今の協会の親方たちも現役時代、文化の担い手として盛り上げ、継承し、拍手を送った人たちだ。

この人たちの功労に敬意を表すことを忘れてはならないはずが、

公益だからとすぐに観させてもらっている方が偉いと勘違いしがちだ。

なんでも言いなりになる必要などない。

その恩恵にあずかってきたのはむしろ観ている側の方だ。

税金を払った側がその瞬間、立場が一番上と思い込むのは浅薄。

 

「改革するのではないのです。古き良きものを残すために、時代に順応させながら残すのです。」

相撲は親方のためにやっているのでない。

協会のために存在するでもない。

客のためでもないのだ。

 

相撲はそもそも神事や武道のひとつとされ、

それが文化として発展し、伝統となっていったものという認識だ。そして興業となった。

人生に通ずる相撲道として道を極めていくのが相撲であり

勝敗を競っているわけでは無い。

勝敗を目的とするスポーツとはそもそもの概念が違う。

これまでの相撲の歴史に背いたと、または文化継承に傷つけた思った時、伝統に対して頭をもたげればいい。

 

日本の文化のため、そこには時代を超越した今生きる人達のためだけでなく、伝統を脈々とつないできた

過去からの全ての日本人のためにある。そのため、守らなければならない伝統があり、

そうでなければ、いまだにちょんまげをする理由、まわしいっちょの理由、

ケガのリスクが高い土俵を変えない理由がない。

女性が土俵に上がれない理由がない。

未来に対しても過去の人達対しても責任をもつ。

 

貴乃花は待ったをしなかった。

大横綱になってからは、初めから両手をついた立ち合いをしていた。

両手をついて立ち合いをするということは、相手のタイミングを全て受け止める姿勢ということだ。

張り刺しを封印し、倒れた相手に過剰なまでにというより、わざとらしいとさえ見えるほど手を差し伸べる。

子供のころから相撲の道を歩んできて、だからこそ、白鵬の振る舞いに我慢ならないのだろう。

 

時代への順応とは、第一にパワハラの追放のことを言っているのだろう。

慣習となった暴力を追放し、時代に順応しつつ、過去から未来へつなぐ守り人たらんとしている。

www.facebook.com

https://twitter.com/yakyucolumn

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

傑作コラム

TOP