オリンピックで注目された男子4×100はバトンが渡らず記録なし、ということになった。
リスクの高いアンダーハンドパスで攻めに行った結果はこういうこともあるわけだ。
それにしても勝機をバトンパスに求めるのは、笑える部分だ。
ルールの中で策をこらすのは当然のことだが、攻める作戦がバトンパスと公言して自慢していては
走力に優れる諸外国からは笑われるだろう。
日本がアンダーハンドパスを採用している中、さほど真似できないとは思えない技術を導入しないのは
リスクが高いし、そこで勝負しないという意志だろう。
この時代になってもいまだにバトンを使うことに疑問はないのか。
テクノロジーの発達でバトンなんて消え去りそうなものと考えないものか。
一般でも幼いころから運動会でリレーとは棒のバトンをつなぐものと浸透しているから疑問に思わない。
バトンは渡す。リレーだから。次走者に渡って、渡って、競う競技だ。
だが、そのバトンが棒である必要はなかろう。
陸上はフライングだって、ゴールだって、精緻な科学に頼るのに、つなぐバトンはいまだに棒なのはなぜ?
バトン棒がないと走ることさえ許されない。
棒をもってないと桐生も小池も走っちゃダメなんだって。笑わされる。
リードが許される範囲内で相手に触れたことがわかればいいだろう。
陸上が走力を競うことを基本とし、中心とするならばバトンパスってそんな技術なんて関係ないし。
バトンパスのうまさで上位へ入ろうとする戦略とは、その発想が笑えてくる。
今回のレースでの予選では4走へのバトンパスの時はイギリスが前だったが、バトンパスの妙で日本が前に出た。
そして直線の走力でまたイギリスに抜かれた。
日本が光明を見出すにはバトンパスとコーナーリングだが、バトンパスをテクノロジーに
変更されれば、日本は特技がなくなってまた冬の時代。
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