ピッチャーにとって勝ち星は運がつきまとうから、その数で評価をしない。
抑えているかという事実が評価の対象となる。
ピッチャーに主導権があり、ピッチャーが投げることでスタートする野球は
ピッチャーの比重が大きくなる。
また、ピッチャーと打者では役割、動作が全く違うことにより
ピッチャーと打者で優劣も決められない。
ピッチャーとピッチャー、打者と打者の優劣は計れるが、ピッチャーと打者は
違うことをするので優劣はない。
お互い同じピッチャーを相手にして、その差はどうだろう、ということは解決し得ない。
大阪代表となった柏原の選手が大阪桐蔭に行っていたら誰一人レギュラーになって
いないかもしれない。
少なくとも半分以上は現大阪桐蔭メンバーのレギュラー陣だろう。
それでも試合となれば、接戦になり、勝負となれば柏原に軍配があがった。
これは団体競技にはあり得る現象で、特に野球にはよくある。
それはピッチャーによって勝敗が決まるからだ。
スーパーピッチャーが一人いればいきなり優勝候補になることがあり、あるいは
優勝候補筆頭の総合力の高いチームがピッチャーが調子を崩してしまったがため、
とかエース温存とかで敗れていくことがよくある。
大谷が投げ、公立高校の野手8人が守るチームに、沖縄尚学の打線は点を獲ることができない。
また、沖縄尚学の野手8人が守り、その辺の公立高校ピッチャーが登板するチームに対して、
公立高校8人の打線で立ち向かい沖縄尚学のピッチャー陣が投げれば、
沖縄尚学の選手が8人を占めるのに敗ける。
8人の沖縄尚学対1人の沖縄尚学なのにピッチャー1人の力量で残
りの8人が優れていようとも、どうしようもないのだ。
野球はピッチャーで勝敗が決まる。


