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WBC戦士たちの引退

内川が引退を表明し、長く球界のトップで活躍し、日本代表としてWBCで日本野球を大いに盛り上げた

名選手がプレーに別れを告げている。

先日の福留、糸井、能見といった40代まで活躍した名プレーヤー同様、内川も40歳だ。

 

そのWBCで韓国との決勝で見せた内川のプレーが日本を優勝に導いた。

2009年、ホームランで同点に追いつかれた回、レフト戦のライナーをハーフバウンドで

逆シングルスライディングキャッチをすると2塁で打者走者を刺したプレーだ。

抜けていたら三塁打にはなっていた打球で、そうなると逆転さかねず試合の展開は

変わっていた。

勝負にタラレバはないが、この守りは危険なプレーで内川としては打球を追っていった結果、

たまたまあの形になったと思われる。

プレーの選択としては自身としても最高だったとは思っていないのではないか。

プレーとしては最高だったが。

 

この時のWBCメンバーの多くが引退しているものの、青木はまだヤクルトでスタメンをはるほどだ。

青木は2009年どころか第一回の2006年も代表だ。

この時の代表では和田もまだ現役となる。

和田と青木は早稲田の1年違いで一緒にプレーしていた。

和田は高校2年生からエースとして甲子園出場、翌年の3年生の時も甲子園出場。

早稲田では六大学野球通算最多奪三振を記録し、ドラフト1位からずっと第一線で活躍、MLBにも請われた

超エリートだ。

青木と同期の鳥谷も甲子園出場後、早稲田では1年生から出場し、学生NO.1野手として

ドラフト1位、長くレギュラーで活躍し、2000本安打も達成している超エリートだ。

 

それと比べて青木は甲子園出場はなく、早稲田へも指定校推薦で入学している。

これはスポーツでの枠なのか、学力での枠なのか分からないが、本人は勉強したそうなので

学力での指定校推薦かもしれない。

そうなると、野球部へは自身から売り込んで行ったということになる。

そこからプロでは鳥谷の実績をも超え、2度の200安打、MLBにも所属、球史に残る名プレーヤーにまでなった。

上原がよく言う雑草魂は青木にもあてはまると言える。

上原は高校時代、控えのピッチャーで、大学も教師になろうと浪人して入学している。

そこからドラフト1位から20勝、ワールドシリーズ優勝のサクセスストーリーだ。

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