アマチュアには公平、平等という意識がある。
だから、実力差が大きい公立校と私立校が同じ高校生の部活動ということでトーナメントで戦う。
実力の世界であるはずのプロでさえドラフトで戦力を均等することに一定の理解が得られ、
明らかに不釣り合いの東大が慣わしを断てず、六大学リーグに所属している。
競技やスポーツはどちらが強いか、どちらが優れているか、を競うのでスタート地点で
公平の条件にするというのは当然のことである。
競技のルールは双方に公平、平等となるよう作られている。
高校野球では球数制限の導入が検討され、シードという制度が確立、越境入学への嫌気、など
公平、平等の意識がこれらの仕組みに各々是非を生じさせる。
球数制限は、複数ピッチャーを抱える強豪校が有利になり、選手を集められない公立校などには
現状の過密日程と同様、分が悪くなる。
そして1大会に全てを賭けたいピッチャーがいるチームに不公平という言い方もされる。
ただ、これは公平か、不公平かは誰にもわからない。
なぜなら、優勝とは最も優秀なチームに与えられる称号であり、その優秀さとは戦力が高いこと、
つまり、優秀な選手が多いことも、その1つだからだ。
優秀さとは他に、1人1人を比べたら、劣っているようでもチームとして勝負すると戦略に長け、
勝つことができるチームとか、大エース1人を育て上げ、勝ち上がることとかもある。
だから、球数制限を取り入れることも、過密日程のトーナメント戦で勝負することも
公平か不公平かで言えば、観る側の立場でどちらともとれるのだ。
本当に強いチームを決めるのは、ワンマッチか、トーナメント戦か、リーグ戦か。
高校野球はトーナメント戦を採用している。
ワンマッチなら、両チームの肉体が充実した時に対戦できればベストだ。
怪物ピッチャー一人で勝つことも可能となるのだ。
ワンマッチなら大船渡は全国制覇した履正社にも勝つ可能性があった。
明日へ続く。
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