校歌や社歌といったものは、そこに属していなければ聴く機会ということはほとんどないものだが、
甲子園では勝ち上がるほど聴く機会があるので、自分とは関係ない校歌を覚えてしまうということがあろう。
PLの校歌をずっと覚えているという人は多いだろうし、大阪桐蔭の校歌を知っているという人が増えただろう。
最近は歌謡曲のような校歌が増えた。
歌謡曲と言ってしまうのは、中身のない歌詞、その高校でなくていい歌詞、抽象ことばの羅列、といった意味だ。
信じて、無限、believe、夢、愛、勇気、ということばを羅列しているといったこと。
その高校だけに当てはまらない、そして実態のないことば、それは中身のないことばを
校歌、つまりその高校特有であり、その高校の特徴をうたう歌にする感覚はどういうものだろう。
こういう歌詞を提供する人もどういう感覚なのだろう。
中には、歌謡界の人がつくっているものがあるようだ。
歌謡曲は飽きられれば売れなくなり忘れられるが、校歌はずっと続く。
それが校歌になっている生徒は気の毒だ。
生徒は校歌で学校を選ばない。入ってから知った校歌がこんなものだったら、がっかりする人も多いだろう。
在学中は未熟な年齢なので感じなくても、歳を重ねて母校歌を恥ずかしいと思う人が多かろう。
そうなると、校歌なのに歌い継がれないことになる。