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俺のセンスについて来い ハイセンス9人によるゲーム展開

センスの違う人間が9人揃ってもチーム力向上につながらないと思わされる。

ハイセンスな9人が揃うチームは理想だが、ハイセンスな選手が数人いて、

それについて行けないセンスが伴わない選手で構成するより、ハイセンスでなくとも、

レベルが同じ人間が9人揃った方がいいと思わされるほど。

 

ハイセンスな選手間では、その時のひらめきによって、通常ではやらないプレー、

あるいはベストタイミングのプレーを選択することがあり、それを感じてもらい、

ファインプレーへとつなげていくことができる。

 

こいつならこれくらいやってくれる、反応してくれる。

あいつならやってくるかもしれない、フォローしなきゃ。

といったことだ。

 

例えば、

あいつならオーバーランの選手を刺しに来るからベースへ入ろう。

あいつは、牽制で刺そうと狙っているはずだ。タイミングを外さないようにしよう。

あいつは絶対、次の塁を狙うはずだから、送球もそちらに行く。俺も進塁しよう。

あいつはこの場面なら転がして1点獲ろうとするだろう。バットに当たった瞬間スタートを切ってやる。

無言のまま感じ合えることがハイセンス集団だ。

 

逆にセンスが合わない、またはハイセンスな選手について行けていない選手が混ざるチームでは、

投げてほしいのに投げて来ない、行けるのに走らない、転がしてほしいのにフルスイングする、

視線や雰囲気で醸し出しているのに察してもらえない、というストレスを抱えることになる。

 

ハイセンスな奴はそれができていれば、試合展開はかなり変わったものになると実感しているのに、

それを感じられない奴は、あの時打たなかったから、とか、あの一球が、とか

試合のポイントが全くズレていることになる。

 

イチローが引退会見で語った、

「基礎の動きって、おそらくメジャーリーグの選手より、どうですかね、日本だったら中学生レベルの方がうまい可能性だってありますよ。それは、チームとしての連携もあるじゃないですか。そんなの言わなくたってできますからね、日本の野球では。でも、こちらでは中々そこは。個人としてのポテンシャルは高いですけど、運動能力は高いですけど。ま、そこにはかなり苦しみました。苦しんで、諦めました」

というものは、まさにその部分を言っているのだと思われる。

イチローのセンスで9人揃ったらそりゃー強い。

 

同じだけ、いや、それ以上に経験を積んだ選手でも、その程度の感覚しか持ち合わせていないのかよ、

って思う選手がチーム内にはいるものだ。

そういう中でゲームをしていても、ハイレベルなプレーが生まれない。

 

サッカーのように流れのスポーツは味方のセンスが合うことが生命線となる。

相手の力量やセンスを感じ取り、ギリギリのプレーをしなければ、相手の裏をとったり、

相手より半歩前に出たりすることができない。

 

中田のキラーパスは味方がそこに反応しなければ、どこに蹴ってんだよ、という

凡パスになってしまう。

だから、中田のレベルについて来られるハイセンスな受け手が欲しいわけだ。

そういう受け手がいてこそ中田のプレーがさらに光るものになり、

また中田のパスはハイセンスであり、高度なプレーなのだと、と認知される。

 

それがうまく行かない場合は、中田はもどかしくなり、いつも声を出し続けることを強いられ、

こう動け、こうしろと怒鳴るように指示することにならざるを得なくなるのだ。

 

ワンプレーごとに間がある野球でも、記録に表れなかったり、ムードを一気に変えるようなプレーは、

ハイセンスなファインプレーによることが多々ある。

 

ヤクルト黄金時代はそういう選手達で対抗していったたように思われる。

古田、池山、飯田、宮本、土橋。

 

巨人がスターを集めて打って点を獲る野球をしかけたのに対し、

データとひらめきでチーム力を向上させ、金で野球を強くすることに対抗したという印象だ。

井端と荒木はセンスを感じ合えるからこそ、アライバとなりえた。

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