高校野球は、本来の実力で勝負が決まらない時がある。
審判に支配されるのだ。
審判の判定にバラつきがあり、選手はそれに惑わされる。
これは生身の人間である審判に責任はない。
仕組みの問題だ。
また、センバツを見ていて思ったのだが、おそらく高野連から通達されているのだろう、
ストライクゾーンは広く取り、ハーフスイングは厳しくとる、試合進行を優先する。
野球は一球のストライク、ボールで戦術が変わってくる。
これについては以前からその理由を解説してきた。
審判に支配された野球は真の勝者を生まない。
プロでさえチャレンジ制度ができた。
プロの審判でさえやり直しのチャンスがあるのだ。
これは、生身の人間の判定には誤りがあると認めた結果だ。
昨年の大リーグではこの導入されたチャレンジ制度で序盤だけで何百件もの判定が覆った。
つまりその前の年までの優勝チームも優勝チームでない可能性があることが証明された。
審判の判定に抗議する場合は、主将か当該選手にしかその権利がない、高校野球のルール。
つまり高校生にしか大人に意義を申し出ることが許されていない高校野球には
判定が覆ることはない。
大の大人が高校生に屈する事などないからだ。
だから
一度下された判定が覆ることなどない高校野球には
相対する2チームで勝負が決するとは限らないということ。