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事をおさめるために頭をもたげる

大相撲本場所は奇数月に行われ、年6場所。

 

今月は、4月なので本場所の取り組みはない。

私が暮らす東京は、1,5,9月に両国国技館にて東京場所が開催される。

 

私は両国を通る機会が週一度くらいのペースであるので

本場所開催中に国技館の前を通ることがよくある。

 

先日はこの両国やスカイツリーのあたりを歩くことがあった。

 

この辺は、両国国技館、回向院、浅草、吉良邸、

勝海舟生誕地、王貞治生誕地と私には興味深いところがいっぱいだ。

 

その中で、大昔、角力にて勝利することにより相撲の発祥となったと

される野見宿祢の神社へ立ち寄った。

 

ここは、毎年、狭い場所で横綱が奉納土俵入りを披露する。

 

 

 

 

最近の相撲で気になることがある。

 

立ち合いが合わないと土俵下に居座る審判を担当する親方へ謝るのだ。

 

これは、どういう意味か。

私には封建の相撲世界で逆らうことのできない親方衆に謝っているようにしか見えない。

 

相撲は親方のためにやっているのでない。

協会のために存在するでもない。

客のためでもないのだ。

 

親方に謝る必要もなければ、客に媚びる必要もない。

 

相撲はそもそも神事や武道のひとつとされ、

それが文化として発展し、伝統となっていったものという認識だ。

そして興業となった。

 

そもそもの生まれた理由が神事や武道だからといって、いつまでも形を変えず、

それを続けなければいけないということはなくあらゆるものが時代とともに形を変えるものではあるが、

スポーツやエンターテイメントというイメージではなく

わざわざ見る人のためにおもしろくさせる必要がある類のものではない。

 

立ち合いが合わないからと親方に頭を下げるのは見苦しい。

事をおさめるために頭をもたげるのか。

 

審判を担当する親方もそれらの力士を戒めるかのような険しい形相だ。

威嚇しているかのようだ。

 

勝負に勝つことも求められ、相手の息にも目と目で合わせて同時に立てというのは、

立ち合いというのは難しい所作だ。そりゃ合わないことも出るに決まっている。

 

そんなに怒る位で、謝らなきゃいけないなら

じゃんけんみたいに掛け声にすりゃいいじゃないかと思わせるほどの勢いで威嚇している。

 

謝る必要があるときは、力士自身が反省した時だけでいい。

外からガタガタ言われて謝っていては力士という名がかすむ。

 

これまでの相撲の歴史に背いたと、その力士が思った時だけ伝統に対して頭をもたげろ。

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