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教育の一環とは口だけ 恐ろしい野球というスポーツ

野球は、固いボールや固い金属バット、刃のついたスパイクを使ってやる競技だ。

危険きわまりないのだ。

 

にもかかわらず、監督、高野連、審判とその危険の意識が希薄だ。

 

 

頭を打ちつけて立てないでいる選手がいるのだが、

こういう時はすぐ、医者に駆けつけてもらい、判断を委ねるか

担架をすぐ持ってくるかすればいいのに。

 

結果、担架が必要なかったり、大事にいたらなければそれでいいわけなのだから。

 

一様に、

倒れた選手の周りを審判が囲み、腰に手をあて様子を見ていたり、回復を待っていたり、

監督も様子をうかがい、なかなかベンチから出てこない。

 

なかなか立ち上がれないと監督もやっと出てきて「大丈夫か?」とか今更聞いたりしている。

 

倒れた選手の周りを囲んで相談していたって事は解決しない。

 

「大丈夫か?」と声をかけたって回復しない。

 

足をつった程度のことだったら様子を見て、本人に判断を委ねればいいが、

 

頭を打つようなプレーは即、担架や医者が必要だ。

 

先日の滝川二高の選手が、ダブルプレーの際、1塁転送の球が1塁走者に当たったときは、

さすがに、監督も一瞬間をおいてから飛んできた。

 

こんな、誰が見ても凍りつくようなプレーでは、飛んでくるのに、そうでもないものは、主観で

「まあ、大丈夫だろう」と判断しているにちがいない。

 

頭は悲観をもって対処しなければ取り返しがつかないことになりかねない。

 

デッドボールの際、最近は、頭に当たった場合は、即ベンチ奥で検査をし、

臨時代走を出すことが義務付けられた。

 

頭に当たった瞬間、主審が本人に「意識はどうだ?」かなんか聞いているのだろう。

その後、ベンチへ下がるよう促す。

 

これは、これでいいのだが、監督がベンチから出てこないのだ。

 

自分の選手が頭に当てられて、検査を受けなければいけないというのに

主審にのみ選手の状態を委ね、全く動かない。

 

そして、下がってきた選手に寄ることもなく、勝手に自分で奥まで行けと言わんばかりだ。

 

実況も、

「これは当たりました。ピッチャーは痛い」とか「もったいない投球です。」

などと言っている場合ではない。

 

まず、打者の状態を心配することが先決だ。

 

あんなに固いボールがぶつかっているのだ。

試合続行を中断し、高校生の体をまず、心配しなければいけない。

 

高校野球は教育の一環などと標榜するなら高野連や監督などそれを言っている人たちが

けが人に対する態度が教育に携わっている姿勢ではない。

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