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流れと言ってしまえば片付く 都合のいい表現「流れ」

流れという言い方は都合のいい表現だ。

その実態を、根拠を持って説明した人を知らない。

 

大体皆がなんとなくわかっているから当然のごとく使う。

そしてその大体わかっていることを、実際の試合で感じたことがあるのであれが流れ、

これは流れのせい、と意識に刷り込まれ、流れというものが存在すると定着した。

 

解説者と称される元プロの人も、大衆メディアであるテレビや新聞でも頻繁に使われる。

そういう場で、根拠のないものを、あるかないかもわからないものを、

自分でもわかっていないものを、定義がないものを、実在のごとく疑いなく使う神経を疑う。

まして、解説とする発言にまで平気でプロが使う神経が知れない。

 

球界には、そんな言い方がいくつかある。

野球の神様が微笑んだ、とか、甲子園には魔物が棲んでいる、など。

神様の微笑みは球界だけでなく、他の競技にも使い、競技だけでなく成功を期する物事にも使われる。

 

球界だけでないものには、練習はウソをつかない、とか努力はウソをつかない、とか。

根拠や統計、質といったものを詳細に分析して使っている人はいない。

感動を呼び込み、得体の知れないもののおかげとしておいた方が底深く思えるからだろう。

 

球界には”重いボール”という言い方もあるが、本当に重いボールはあるのだろうか。

 

この”流れ”について、いかに都合がいいか、木曜連載で深堀してみよう。

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