学力を高めるのは人の話を聞く授業に時間を多く割くより復習や自習の方が
圧倒して重要だから、帰宅後の考える時間を多く取らなければならない。
自習より朝から午後までの授業の方が長く、しかもいずれ不要とするものにまで時間を割く。
そして一言一句聞き漏らさないことはできない。
それなのにこれだけ多くの時間が設定されている。
できたとしてその集中はそこで尽きるので自習につながらない。
しかも一言一句全てが大事でない。
むしろ、忘れられていいことの方がほとんど。
大事な部分は数パーセントで一日にひとつもないこともあろう。
文武両道と言ったとき測るのは大学進学率や進学数だろう。
授業の時間を睡眠や体力向上に充て予備校のカリキュラムをこなした方が
効率だけをとれば文武両道に近づく。
大学受験に不要な授業が学校には多数あるから、さらに効率ではもったいない。
文武両道を測るものが進学率や進学数なのにそれを下げる効果がある時間を多く含む
学校という器に建前の実現を期待しても無駄なのだ。
両道を標榜するのは実現のハードルが高いから言うのであり、両道と言うからには、
きっとそれぞれが反対のものを両立させるというすごさなのだろう。
トレードオフの関係だからこそ取り上げられる。
学校は勉学の場であることが基本だから、当然こちらに重きを置く。
すると時間はこちらに傾く。
野球ばかりやっていたら、それでいいのか、となる。
勉学ばかりやっていてそれでいいのか、とはならない。
勉学に時間をとられていては、野球の時間を渇望する。
勉学の間に、野球で培われた筋力がなくなっていく。
そして短い時間の野球を目いっぱいやろうと張り切ればつかれる。腹減る。
勉学の集中へは向かない。
両立とされている場合、必ずどちらかをセーブしているはずだ。
お互いに削りあう両道は不可能。
どちらの能力も全開されない。
どちらかのためにどちらか一方を利用するくらいでいい。
というよりそれより方法はない。


