キャプテン制度は未熟な世代の団体競技に有効と考えられる。
プロもキャプテンなるものを置くが、大人であり、集団と言ってみたものの、
個人契約でそれぞれの生活がかかっている状態だから個人を考える場面は多くなり、
ましてプロという最高技術を持った、特長のある人達なのであまり意味をなさない。
高校生くらいがキャプテン制度の有効性が一番発揮されるように思われる。
それより下だと競技への執着に強弱があり、また、方向性を統一する意識も希薄に思われる。
大学より上になると、もう大人なので自分で考えることを好むようになる。
高校生くらいが青春時代の団体をまとめる、あるいは方向付けるのに引っ張る存在を欲しがるように思われる。
ピッチャーのキャプテンは避けるもの。
今もこの傾向は強い。
本来、ピッチャー、つまりエースはそのチームの勝敗を握るわけで、さらに野球能力の
高い選手なわけだからピッチャーがキャプテンというケースは多くなっていいはずのところだ。
しかし、ピッチャーはゲームにおける負担がダントツに大きい。
だからこそ勝敗を握るわけだが、そんなピッチャーにはそのプレーに集中してもらいたいという配慮がある。
勝敗を握るから良い投球に集中し、キャプテンの任務である全体を見る、という負担までは
頼らないようにしてあげる。
対バッターに向かうだけで目線が一方向になり、狭くなりがちだからということも言える。
カッカしたり、気持ちが揺れ動いたり、といったポジションがピッチャー。
野手はそもそも打球やランナーに合わせて動くものだから、俯瞰してゲームをとらえる必要がある。
だからキャプテンはピッチャー以外ということになる。
では誰がいいか。
つづく。