野球が誕生の時、ルールの下で敬遠というものを想定してはいなかった、
ゲームをしていくうちに戦略として生まれた。
ゲームを重ねていくうちに生まれた作戦、戦略としての現象だということ。
あくまで敬遠は戦術であり、競技の作戦のひとつだからこれをルールに組み入れることは
本来、必要ないという事になる。
それなのになぜこの申告敬遠と呼ばれるルールが採用されたのか。
敬遠は守備側が選択する作戦であり、歩かせたい。
主に相手打者を抑えるのにおぼつかない時、勝負を避ける手段だ。
本当はフォアボールとは守備側へ与えるペナルティのはずだが、
あえてそのペナルティを受けても得をする、と判断しているわけだ。
一方、攻撃側はこれを防ぐ手段がない。
本当は勝負してもらいたいと思っていても、相手がボール球を投げれば
いかに強打者と言っても打つことはかなわない。
だから見逃すしかない。
以前は、タイトル争いの際、敬遠合戦などがあった。
打者はどうすることもできないから、抗議の意味を込めてバットを放り投げ、不満をあらわにしていたものだ。
長嶋はバットを持たずに打席に入って抗議の意志を示した。
敬遠は打者にはどうしようもないのだ。
だから守備側が敬遠と決めてしまえば、フォアボールが確定してしまう。
つまり結果が分かっているから意味のない時間なので、いちいちやらずとも一塁へ行け、
ということになり申告敬遠が生まれた。
本来、ルールに組み入れる必要がない敬遠という戦術をルールとした合理はこれか。