高校野球は、秋季大会が開催中。
夏に3年生が引退し、秋は、新チームとして勢力図が変わることになる。
夏とは違う点が多いが、秋の戦いは勝っても負けても先を見据えると言う点は一番大きい。
敗けたら終わりの夏と負けても成長の糧とできる秋。
したがい、秋は敗けても泣くということはほとんどない。
神奈川決勝は、横浜高校と慶應義塾という夏と同じ顔合わせになった。
夏は、全国でもトップクラスの実力があった横浜が慶應を一蹴したが、
秋は夏を経験した1,2年生が多く残った慶應が、横浜を下し神奈川を制した。
横浜は、前年秋から続いていた神奈川公式戦連勝が30で途切れたが、
選手は淡々としていた。涙などもちろんない。
そもそも選手起用からしてエースを温存し、それまで登板のなかった野手までが投げた。
関東大会進出を決めていたこともあり、どうしても勝たなければいけないという位置づけではなく、
今後を見据え選手を試したい、敗けたら敗けたで反省材料が出るのでむしろいい、
とまで考えていたかもしれない。
一方、夏は大きくその意義が異なる。
たとえ、強豪校で野球に打ち込んできたチームでなくとも
限られた時間と設備の中で、野球を生活の一番手に位置づけ、情熱を燃やしてきたが、
夏の1試合で負けてしまえば、終わりを突き付けられる。
そして、その瞬間、違う生活を送ることを余儀なくされ、その気持ちの切り替えができず、
虚脱感が襲いながら夏休みを送ることになる。
野球に専心しながら負け、涙にくれる姿には
レベルや実力など関係なく、お疲れ様と言いたくなるものだ。
高校野球は、
プロから注目されるほどの実力者も高校生活の青春の1ページでやっている野球好きも
同じ限られた時間の中で活動するという制約がある。
そして、
地元のチームを応援し、因縁のあるチームや選手を応援する。
この郷土愛を国力につなげられないものか。
ここまでの情熱をここで一旦断絶して次のステップに行きましょうとするのは惜しい。
さらに野球に情熱を燃やせる環境が増えることを望むし、または、
この情熱をいつまでも忘れないで、別のことに移せるよう、うまく流れができ、
仕組みができないものかと希望する。
この情熱を断絶し、一線を引くことはあまりに惜しい。
明日へつづく。