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思い出甲子園XIV

私の思い出甲子園14回目。

 

私が高校三年生のまさに同じ年代の選手が活躍した74回大会。

 

西東京に属していた私が敗れた相手・創価高校が好投手・坂田を擁する古豪・熊本工業に敗れ、

センバツ全国制覇ののち春の東京都大会で場外ホームランなどを見舞われ、私が敗れた帝京も

初戦で渡辺擁する尽誠学園に敗れ、早々に落胆した大会だった。

 

決勝まで1失点の森尾の好投で初優勝した西日本短大付属。

現巨人・高橋由伸が敗戦投手になった名門・桐蔭学園。

 

そしてなんといってもあの怪物が甲子園のみならず世間を震撼させた。

 

ゴジラ・松井の来襲だ。

 

松井を有名にしたのは、高校野球のあり方が社会議論にまで発展した5連続敬遠だが、

松井は1年生の頃からその名は轟いていた。

 

そして私がはじめて松井を凝視したのが

春のセンバツで大会NO.1スラッガーとして登場したときだった。

 

というのも

堀越VS星稜という大会NO.1ピッチャーと大会NO.1スラッガーが相対する機会があったからだ。

 

このとき東京代表として出場したのが堀越学園。

その堀越のエース・山本は私が小学生の頃から何度も対戦したピッチャーであり、

この大会のN0.1ピッチャーという触れ込みだった。

 

私が小学生の頃から知っているこの山本はカーブが得意と紹介されていた。

 

そして膝元への得意のカーブを松井はライトスタンドへ持っていったのだった。

 

その後、山本は阪神にドラフト指名され、入団している。

 

一方、松井はその年、プロからもっとも注目され、

10年に一人とも20年に一人とも言われる逸材となって夏、甲子園へ乗り込んできた。

 

そしてあの5連続敬遠。

球場にはヤジが巻き起こり、グラウンドへ物が投げ込まれる。

 

前代未聞であり、その後もこんなことはこれきりの出来事だ。

 

甲子園練習で松井のバッティングを見たとき

明徳・馬淵監督は

「こりゃうちのピッチャーじゃ抑えられない」

と悟ったそうだ。

 

たしかに

その体格、スイングスピード、パワーはすでに一人高校生のレベルを超越している存在だった。

 

大学生以上のレベルでなければ釣り合わない存在だった。

 

松井はもともと右利きだ。

幼少のころは右打ちだったそうだ。

 

しかし、打ちすぎるためお兄さんから左で打てと言われ、それ以来、左打ちになったそうだ。

 

このころやプロ入団後数年の打ち方を見ていると、それが、うなずける。

 

器用さに欠け、キレイな打ち方とは言えないものだ。

 

しかしスイングスピードが桁違いに速い。

 

あっという間にバットのヘッドを返すほどのものであり、

ゴジラパワーでバットに当たれば飛んで行ってしまう。

 

右利きの松井が右打者を続けていたらどんな打者になっていたのだろう。

 

もっと上のホームラン打者になっていたのではないだろうか。

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