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歩んできた道が違う プライドと敬意の交錯

大谷がWBCで「憧れるのはやめましょう」という発言をした。

憧れはそのまま敬意へと気持ちは同一にはたらくが、逆に今は憧れられる存在ではないのに

敬意をもって見られるというケースもある。

東大だ。

東大は負け続けているのに六大学野球のひとつとして籍を置き続けている。

それは東大が果たした日本の野球貢献への敬意があるからだ。

日本の野球はそもそもエリート学生達の遊びから発展したものだ。

その先陣を切ったのが東大の前身の学生たち。

昔の六大学野球は花型だった。

プロの野球より人気がある頃もあり、今ほど人々に野球技術が浸透していなく、

高度な技術がなかった頃、花の都・東京のひとつの文化として大いに人々を歓喜

させた時代があった。

野球を日本の文化とした功績を無下にすることはできないので、東大は実力が伴っていなくとも、

神宮の舞台で他の野球エリート五大学とやらせてもらえる資格を持っているのだ。

PLもそうだろう。

PL野球部が廃部となる晩年には弱小野球部にまでなり下がった。

それでも高校球界の王者として君臨した実績に敬意を払い、その廃部を惜しむ声が絶えなかったのだ。

東京六大学では東京大学が当然、連敗する。

他の五大学は、高校時代名門校で揉まれた連中ばかりが集まってくるのだから当然だ。

東大は日本で最難関の学力試験を突破しなければ野球部員になることができない。

東京大学の野球部に属する選手は高校時代、他の六大学リーグ、つまり早稲田、慶応、明治、法政、立教で

野球をやるような選手と対戦する機会などなかったはず。

それが頭脳明晰で東大に入り野球部に入れば、

高校時代は相手にもしてくれなかったような選手達で構成されるチームと神宮の舞台で

野球をやらせてもらえることになる。

東大以外の六大学チームは東大と試合するのは面倒くさいと思っている。

日本のアマチュア球界は実力差があるのに同じリーグで野球をする、というケースはよくある。

最たるものは高校野球だ。

ただ、高校野球は部活動であり、高校に通う本分は修学。

だから野球の技術や戦略の向上を本来、目的としていない。

その中で野球に力を入れる学校が増えてきて格差が生まれた。

スポーツで常勝するにはお金をかける必要がある。

予算を割くことで環境が整うのだ。

環境とは野球がうまくなるための環境のこと。

それは、場所、道具、指導者、優秀な選手、協力者というようなこと。

これらはすべてお金で解決できる。

常勝のためにはお金が必要だが、一発勝負の高校野球で名門から金星をあげるには、

必ずしもお金が必要ということではない。

必要なのは練習することと情熱を持つことは大前提として、さらに体格と情報と経験だ。

名門校を選ぶ選手たちは「野球がうまくなりたい」と大きな覚悟をもって精進しようとする者達だ。

明けても暮れても野球漬け、青春を野球に賭け、封建も我慢しているような選手が

練習時間もままならず、志も低いチームも多い公立校を相手にはしたくはない。

高野連の主催する大会以外では、練習試合などで常に強豪同士で実力を測っている。

お金をかけて遠征し、強豪校と相まみえる。

普通の高校は全国にも名が通るような学校とは練習試合を申し込んでも受けてもらえることなどまずない。

普通の高校はそんな強豪校に申し込むことすら恐縮する。

強豪校は実力の劣る弱小校や普通の高校とは試合などしたくないのだ。

面倒くさいと思っているし、その時間はもっと別に使いたいから。

予算、設備、指導者、選手、支援者と環境がなにもかも違い、同じなのは高校生というだけ。

公立高校や中堅強豪校は高校生活の中の部活動という位置づけだが、私立の名門は

部活動などという表現ではあてはまらないプロ養成機関や野球専門学校となる。

高校野球という一言であらわされ公平を掲げてはいるが、格から生まれるプライド、敬意、差別といったものは別次元。

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