私は、タイガーマスクの活躍に魅了されて以来、野球とともに格闘技を幼少より見続けてきた。
ピーターアーツが引退したそうだ。
日本で格闘技がブームになってきた20年ほど前、新生王者として出現したのがこのピーターアーツだった。
プロレス界からUWFというキック、関節技、投げ技主体のスタイルが生まれた。
今で言う総合格闘技の元祖だ。
このUWFの出現によりキックや関節技が注目され、
これらの技術を駆使する様々な格闘技が注目されることになり
それまで日本ではマイナーだったキックボクシングにも注目が集まることとなり、K-1グランプリが生まれた。
当時、キックボクシング界でチャンピオンとして君臨していたのはモーリススミスだった。
専門のトレーニングパートナーやコーチを持たず、8年間不敗を誇っていたスミスに
若きアーツが、フランスで判定勝ちを収め、
スミスの連勝をストップさせるというニュースが、日本に飛び込んできた。
衝撃と共に
しばらくして再戦を行い、またしてもアーツが、判定勝ちを収めた。
絶対王者スミスを2度に渡って破ったことで、アーツが新王者として格闘技界に認識されることとなった。
時、同じくして日本でK-1グランプリ第一回大会が開催された。
このとき、
全8選手が出場、優勝候補筆頭が若き新王者アーツ、
次点にスミス、3番手スタンザマン、4番手に日本の空手家佐竹という評価だったのをよく覚えている。
UWFの出現でキックが日本の格闘技ファンにも馴染みが出てきたので、
このキックボクシングの、世界中のヘビー級が一堂に会し、
ワンデイでどんな戦いを見せるのかとてもワクワクしたのだ。
格闘技ファンはソワソワワクワクし、ブームが盛り上がりを見せていたので
それまで格闘技をさほど知らない人たちやプロレスからの移流ファンを巻き込んで高揚していった。
1回戦に登場したアーツはアーネストホーストと対戦する。
後に名勝負を繰り返すことになる両者であり、
K-1の顔となっていく二人だが、当時日本ではホーストは無名だった。
しかも、
このときのホーストは体重80キロ台とヘビー級の身体ではなかった。
この後、開催されたK-2グランプリ(体重制限が80キロ)に出場するくらいだったのだから。
試合は体重に勝るアーツが圧力をかけ前に出るが、ホーストはテクニックでかわし、
パンチ、キックを浴びせるという展開だった。
そして判定でホーストが勝利し、大本命アーツが初戦で姿を消すという大波乱となったのだ。
この二人はその後、何度かこのK-1の舞台で対戦し、アーツのパワーあふれる戦い、
特に世界一と言われるようになるハイキックとホーストのミスターパーフェクトと呼ばれるテクニックで
名勝負を展開し我々ファンの胸を熱くさせた。
特に95年K-1決勝の二人の戦いは、格闘技史上に残る名勝負となった。
このつづきは次回以降へ。