オリンピックに野球が登場した印象深い大会はロサンゼルスだ。
ロサンゼルスは公開種目という正式のものではなかったが、日本が金メダルを獲得したから印象深い。
この時、主力だった広沢がホームランを打ったことを記憶している。
当時はアマチュアの最高峰の戦いがオリンピックだったように思う。
アマチュアの晴れ舞台としてオリンピックが用意されているという趣だ。
実際、杉浦は日本代表としてキューバに勝つためにアマチュアにこだわり、プロ入りを拒否した。
プロになっては日本代表にはなれず、キューバを倒すことができないからだ。
今ではプロも日本代表として世界と戦える。
こういう時代が来ていたら、杉浦もプロ入りしていただろう。
そして、キューバを倒す目標を杉浦は果たせなかったが、キューバの連勝を止めたのは上原だった。
上原は大学生の時、日本代表としてキューバを抑えた。
アマチュアで構成されていた頃の日本代表は大学野球と社会人野球の選手で成り立っていた。
のちにプロへ進み、プロでも活躍する選手が多い。
そしてロサンゼルスの次のソウル大会の日本代表三本柱が石井、野茂、潮崎だったそうだ。
一般には野茂がエースと思われているが、実は石井だったと古田は言っている。
ここで面白いのが、日本代表三本柱たるこの三人が高校時代は無名だということ。
石井は早実で荒木の控えだった。
大学でもエースは猪俣だった。
それが社会人に進み、日本のエースとなったわけだ。
そして野茂は高校は大阪の府立高校。
最激戦区大阪で公立高校では目立たない。
高校時代にスカウトが来ていたとされるが、それでも全国では無名。
社会人野球で躍進した。
潮崎に至っては高校時代控えながら、社会人野球名門の松下電器で2年かからずエース、
日本代表の三本柱という、恐ろしいスピードでの出世だ。
ただ、スポーツ選手はこういう話は尽きない。
若い頃、きっかけをつかんだり、体の成長だったり、そこへ体を鍛えると一気に伸びる。
そして一気に追いついたり、追い越したりはザラだ。