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村田の判定。
人間が判定することだからというセリフをよく聞いた。
まあ、一言で言ってしまえばそういうことだ。
ただ、今回の判定には、採点をつけるに選ばれた人に偏重傾向があるという噂も聞いた。
つまり、いじわるが入っていると言うことだ。
これをなくすには、あらゆるスポーツを判定、採点、審判に恣意性を排除することだ。
方法は難しい。これまでも解決できないままで永遠のテーマとなっている。
野球についてもこのテーマを何度も取り上げた。
この場では、野球には「ものいい」の仕組みがいいと記してきた。
この村田の判定はだれが見てもというくらいだし、 WBA会長も謝罪しているくらいだから
おかしいのだろう。
世界中のジャッジをできる多くの人の中で不当の2人が選出されてしまったのかもしれない。
1万人のジャッジができるプロの資格を得ている人達がいるとして、
その中のたった二人の不当な人がこの任に就いてしまったのかも。
1万人でジャッジをしたら9,998対2で村田の勝ちだったところが、結果は
2-1で村田の負けとなってしまった奇跡。
不当で思い出されるのが、中日の日本シリーズで落合監督が発した言葉だ。
シリーズ前の両チーム首脳とNPBとのルールや運営についてのミーティングで
7戦全て引き分けだったらどうするのか。という質問をした。
理論上はあり得ることなので、勝負を預かる将としては当然の発想と言える。
ただ、ここまでいくと難癖だ。
今までにすべて引き分けはないし、長いプロ野球の歴史で年間20数試合戦う同一カードでさえ
1シーズンで7つも引き分けがあることなどなかっただろう。
ということは、これは可能性が0であると考えていい。
そんなことにまで配慮してルールをつくらなくていい。
たとえ、7つ引き分けたとしても事が起こってからどうするか考えても間に合う。
そもそも取り決めていなかったことなのだからどちらにも有利にも不利にもならないからだ。
そして、たかが娯楽の野球には、この程度のことはコミッショナー裁定でどうするかを決めていい。
人生を賭けてやっている選手とファンがいるとはいえ、野球はあくまで娯楽であり、
これで命がなくなるわけではない。
共謀罪の説明で、ビールや弁当を持っているのは花見、
地図や双眼鏡は犯行の下見の可能性などと言っていたが、このルールの方が、
よっぽど当局の恣意が介入されるだろう。
これにより、冤罪が発生する可能性の方が、7つの引き分けがある可能性よりよっぽど高そうだ。
人の命にもかかわりかねないルールの制定でこの程度の説明が飛び出すのだ。
恣意性の極力排除がジャッジのミスを少なくすると言う事。
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