今日は1年に1度の大イベント。
公開で新規入団選手を決めるという当事者としては人生の明らかなターニングポイントとなる催しであり、
新戦力が大量に決定する場、さらに将来のチーム形成の意思表示も見えることから
野球という実際の競技を見せるわけではないのに、ひとつのドラマにまでな
った。
野球を見せているわけではないのに、日本シリーズ並みの注目度がある一大イベントだ。
これ単独で金を生むコンテンツにまでなったのだ。
選手の一生を左右すると同時に、チームとしては10年先の行方を左右するので、
それは注目度が上がるのも当然なのだが、これをその場で、公開で、即決でやるという方法が上手くいった。
ドラフト制度は戦力の均等と契約金の抑制という理由でつくられたもので行く方も獲る方も
相思相愛だとしても指名順位や抽選で職業選択の自由を妨げるなど矛盾だらけであるにもかかわらず、
支持され続けられている。
それは、ここに人間ドラマを見出すからだ。
プロ野球のエンターテインメント部分として楽しまれている。
これらを鑑みれば就職活動としては特殊であり、したがい運命のドラフトと言う。
強行指名や指名順位の差、抽選になった場合などは確かに運命と言えるだろう。
特に抽選は完全に運だから、これは運命だ。
ただ、それらの場合の方が少ないだろう。
ドラフトと言えば強行指名の驚き、競合による抽選などのドラマが印象に残るが、
おそらくこういう場合の方が少ない。
ほとんどは事前の挨拶で何位でどこが来るかわかっている。
とすれば、一般の就職活動と一緒だ。
自分の実力をアピールして行きたい球団からの指名を待つ。
球団が欲しくないとすれば、今回はご縁がございませんでした、ということだ。
ことさらドラフトによる進路決定が”運命の”というわけではなく、就職活動そのものが
”運命の”ということになる。
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