昨日は日曜日に地元兵庫代表の社高校と大阪代表の王者大阪桐蔭登場に満員という状況だった。
前田のピッチングはさすがだった。
既に菊池級かそれ以上の印象を受け、今後どれだけのピッチャーになるか、とても楽しみだ。
社高校は地元の声援を受け、7点差を終盤追い上げ、大いに盛り上げた。
対した二松学舎は一塁側アルプス以外、全て敵と言える状況で戦った。
こういう状況で戦えることは、双方勝負の醍醐味であり、楽しいはずだ。
高校野球は一発勝負だから敗けたら終わり。
すると、こういう言葉使いをよく耳にする。
「悔いが残らないように頑張れ」
これまで長く野球をやってきた、それこそ高校野球、大学野球、プロと経験した人の口からも
こういう言葉を耳にする。
悔いなど残らないことなどまずない。
ほとんどが残るのだ。
長く野球をやって多くの野球人を見てきたはずの人ならわかっているだろうに
こういうことを言う。
それは都合がよく、体裁を繕った言い方なのだろう。
限られた時間で、未熟な年頃で、コロコロ状況が変わる2年数か月。
この条件で思い通りに充分、満足いくようになどできようがない。
引退時の会見で、「後悔などあろうはずがない」と言ったイチローは
最後まで声援を送ってくれた多くのファンが目の前にいることを実感できたから、
その人たちへ向けたありがとうという気持ちから出た言葉だったはずで、
別の感情は生まれていたはずだ。
どんなにやっても不完全燃焼部分は残るから。
未練は必ずある。
あーすればよかった、あーできたな、あ―していたらどうだっただろう、と。
悔いが残らないように今をやる人はいない。
悔いを残さないために今をやる人などいない。
今をやるのはそれが楽しいことであり、目標へ向かってであり、その向上の過程を充実させたいから。
したがい、悔いのないように頑張れ、など意味のない言葉だ。
思い切りやって悔いが残っていい。
それをまたどう生かすかが、やってきた意義だし、人生だ。
またその悔いさえも思い出として宝にできる。
悔いが残らないようにやることなど不可能。
思い切りやって悔しがれ、喜べ、楽しめ、そして泣き尽くせ。