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校歌はそこに生きた感動

以前、中身のない歌謡曲のような校歌を甲子園で耳にする、ということを記した。

2022-9-6 聴くに及ばない校歌

 

歌謡曲は売れた歌は継がれるものの、売れなかった歌は忘れられていくからいいが、

校歌は時代が変わっても歌い継がれていくものなのに、そんな校歌を強要させられる

生徒は不幸だ。

 

その学校や地域の特徴をうたい、その環境で育まれたということを歌い、だからこそ

自分という人間が形成され、だからこそあの仲間たちが集った。

故郷や仲間、先生、先輩を一瞬で思い出し、思い出で深い感動をいつも胸を刺すのが校歌。

情景を思い起こし、景色を絵として思い描くことができる。

 

どこの学校でも当てはまるような、どこの学校にも当てはまらないような、きれいで

実態のない言葉を並べた校歌に感動は生まれない。

何の真実味もないから。

校歌はその学校を特徴づける、その校風を決定づける内容がいい。

そのためにあると言えよう。

きれいなことばだけ並べるのなら校歌にして語り継ぐ必要がない。

勝手に口ずさんどけばいい。

 

校歌だから意味がある、校歌にしか使えない、といったことばこそがそこに生きた生徒たちに

染みる。

校歌はそこの生徒に最も響くものであればいいのに、愛だの夢だの恥ずかしくて高らかに歌えない。

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