決勝の最終回の大谷を“泥だらけのストッパー”と表現した。
プロの試合ではリリーバーが泥のついたユニフォームで登場することなどない。
泥だらけは言い過ぎで、ズボンに土がついているだけだが、その表現の響きの良さと
真打ち登場の絵面の良さで、筋書きのあるドラマのように映えた。
大きい身体で世界一のプレーヤーが最後を締めにゆっくり歩いてくる姿はまさにドラマのワンシーンであり、
栗山監督の筋書きは見事だった。
栗山監督の演出という面では至る所で持ち味を発揮した。
準決勝以降苦戦になる采配をしたことも、盛り上がりを大きくしたので、むしろ名演出となった。
そもそも栗山監督誕生の一番の理由は大谷を代表に呼ぶためだった。
しかし、そうでなくても大谷は代表入りするつもりだっただろう。
吉田や鈴木といったアメリカ組もそう。
彼らは子供の頃、日本の優勝を見て感動した選手たちだから、監督が誰であれ、
身の置き所がどこであれ、最優先で代表入りを決めていた。
まさに、次世代へつなぐ、紡ぐ、ということが手に取るようにわかる大会だった。
決勝のアメリカ戦、先制された直後の先頭打者・村上に対して初球をど真ん中にツーシームは明らかな失投だった。
なぜ、あの球をあそこへ投げたのか不思議でならない。
岡本は前日にレフトフェンスを越えていた打球を捕られている。
左ピッチャーの中に入ってくるスライダーだった。
そこで左ピッチャーに代わったところでの、このアメリカ戦もチャンスだ、と思ったところ
その通りホームランとなった。
この試合、アメリカのホームランは左の今永から右打者が、右のダルビッシュから左打者が、
日本のホームランは村上が右ピッチャーから、岡本が左ピッチャーから打ったものだった。
短期決戦の大会に一流ピッチャーを15人も集めたならば、ローテーションなど必要なく、
右打者に右ピッチャーを充て、左打者に左ピッチャーを充てる戦略が一番勝率を高くする。
栗山監督は大会通じて逆を行っていた。
準決勝、メキシコ戦で大谷が最終回、一塁ベース手前でヘルメットを脱いだのは、
おそらく三塁まで行ってやろう、という意識のあらわれだろう。
普段のシーズンなら大谷は投げて、打って、160試合活躍するため走塁制限が頭にある。
負けたら終わりのこの試合ではそんなこと関係なかったのだ。
どうしてもこの試合は勝つ、という執念、情熱、興奮により、相手に少しでもスキがあれば
三塁まで行ってやる気でヘルメットが邪魔だ、とばばかりに飛ばしたのだ。
そしてこの時のヒットも出塁すると味方に伝えて、バットを短く持って、打席に立った。
出塁することに執念を燃やし、勝つことにこだわったから、ヘルメットを飛ばし、塁上で興奮していたのだ。
大谷は他のプレーヤーと次元が違うから何をやっても楽しんでやれる。
良い結果を出すために最善を尽くす必要がないところまで来てしまっているというわけだ。
だから何をやってもトータルで見るとうまくいく。
瞬間、瞬間では三振したり、ホームランを打たれたり、とあってももう少し長く見ると必ずチームに貢献する。
最高の状態ででなくても人よりはうまくいくのだ。
この時のヒットも見逃せばボールだったろうし、あの球を引っ張っても本来はあまり良い結果を生まない。
それでも次元が違うから強引に打ちに行っても、ヒットになってしまうのだ。