高校野球はつらいことをしているとえらい、という風潮だ。
高校野球に限らず、日本人の発想として、つらいことに耐えて、そうして成長でき、
栄光を獲得するという観念がある。
眠い目をこすって早起きすると偉い。昼まで休んでいるとぐーたら。
徹夜の勉強は偉い。残業は働き者。
ダイエットを継続するとえらい、ジョギングを欠かさないと偉い、
労力と時間を費やさず健康になっても尊敬されない。
貧乏を経て立身したら偉い、親の遺産を継いでいる奴はボンボン。
高校野球は旧態依然の象徴的存在だから日本人の発想をよくあらわす。
変わることを嫌うし、精神性を強調するし、きれいごとが大好きだ。
組織の意向には歯向かわないことがよしとされ、きついことは礼讃され、練習はうそをつかないと信じる。
つらいことでうまくなるとは限らない。
苦労するほどうまくなるわけではない。
むしろ下手になることもあるし、やらない方がよかったということも多々あろう。
栄光が苦労の対価ならマラソン選手の方が、酔っ払ってでもできちゃう野球選手より金持ちになっていい。
プロでさえ、実績のある選手の練習や指導を若手に「きつかった?」などと聞く。
きついことが偉く、俺ほどの選手はお前よりきつく、苦労しているんだよ、と自慢したがる。
「あの人の自主練に参加させてもらったんですよ、ものすごい練習量で」
若手も方も、うまくなるにはきつさ、苦労、嫌な思いから逃げられない、と思い込んでいる。
だったらやったらいいだけじゃない。
そうすれば、だれでも一流選手だ。
それが本当なら世の中一流選手であふれかえるはずだけど、理論からして、全員が一流選手などありえない。
明日へつづく。