全ての競技で昔より道具の性能が落ちたものを知らない。
行き過ぎて是正が入ったものは多々あるが、わざわざ改悪に精力をそそぐのは人間の業として
不合理だ。
人は今より良いものを探り、追求し、欲する。
そこをどこまで認めるか、禁止にするか、のさじ加減にいつも苦心する。
その根拠とするのは過去との公平さだろう。
あまりの道具の良さにより、はっきり効果が見られ、人の能力だけでない成果には
行き過ぎと判断し、制御が施される。
そしてその道具はそれを扱う人のためを考える。
道具をつくる人たちは、それを使う人をやっつけるためにやるとなると、陰謀という見方になり、
その人のために作ることが正義だ。
すると、道具は必ず、扱いやすいように作られてゆく。
バットなら打者のため、グローブは野手のため。
ピッチャーのためにバットは作らないし、打者のためにグローブを作らない。
全ての道具は扱う人のために作り、だから性能は常に良くなっていく。
未来に渡ってまた道具は変わっていくし、許可や禁止のものが出てくるだろう。
だから今、悪とされるものも実はそう悪でもない、というものも出てくるかもしれない。
つづく。