春夏連覇をすることになる大阪桐蔭をその前の春の大阪大会で公立の進学校である寝屋川高校が、
あとアウト1つで負かすというところまで追い込んだことがあった。
そして、あとアウト1つのところでも、セカンドゴロに打ち取りながらエラーで同点となった。
寝屋川は勝ったと思い、大阪桐蔭は負けたと思った。
寝屋川高校は公立校なので選手を集めるということはできない。
野球部の生徒は、限定された地域の中から試験を突破し、その中で野球好きが集まるという形になるはずだ。
スポーツで常勝するにはお金をかける必要がある。
予算を割くことで環境が整う。
環境とは、野球がうまくなるための環境のこと。
それは、場所、道具、指導者、優秀な選手、協力者、対戦相手というようなこと。
これらは、すべてお金が解決する。
常勝のためにはお金が必要だが、一発勝負の高校野球で名門から金星をあげるには、
必ずしもお金が必要ということではない。
必要なのは、練習することと情熱を持つことは大前提として、さらに情報と経験と体格だ。
ただ、高校野球は部活動であり、高校に通う本分は修学。
だから、寝屋川高校のようなチーム作りが本来のあり方と言えるだろう。
高校野球の王道とすべき理想のチーム作りは、全国から選手を集めることではない。
だから、こういうチームが王者に一泡吹かすという図式が高校スポーツの醍醐味でもある。
いくら環境の違うチームと言えど、同じ高校生。
同じ時間だけ生きてきて、同じ高校生活の間だけで青春を燃やすという条件は同じだ。
名門校を選ぶ選手たちは「野球がうまくなりたい」と大きな覚悟をもって精進しようとする者たちだ。
明けても暮れても野球漬け、青春を野球に賭け、封建も我慢しているような選手が、
練習時間もままならず、志も低いチームも多い公立校を相手にはしたくはない。
しかし、この試合は準々決勝という舞台であるため、ここまで勝ち上がってきたチームは、
環境に恵まれていないかもしれないが、志をもって野球に取り組んできたチームだ。
野球の実力を伸ばすために名門校を選んだ選手と進学校の試験を突破した上で、
野球をやるという高校生活を選んだ選手たちが同じ土俵で戦う高校の部活動、高校野球。
そして、この大阪大会はセンバツ連覇をした大阪桐蔭が貫禄の優勝となった。
こうなると、寝屋川高校はさらに惜しいと思ってしまう。
なんせ、セカンドゴロで打ち取ったのに逆転されてしまったのだから。
逃がした魚は大きすぎる。
ただ、大阪桐蔭が寝屋川高校に対した準々決勝はメンバーを落としていたと思われる。
だが、これで大阪桐蔭も寝屋川高校には一目置くことになった。
もし、夏に再戦があれば、獲物を狙う獅子のようにキッチリ仕留めに行き、
その実力の差を見せつける戦いをしたはずだ。
大阪桐蔭は近年、最も注目されるチームだ。
プロ野球選手を多く輩出し、しかもプロでも各チームの主力をはるような選手たちばかり。
この横綱が、春の府大会とはいえ、公立校に負けるわけにはいかなかったはず。
それどころか、まともな勝負をすることすらプライドが許さない。
完膚なきまでに叩きのめさなければならない。
だから、大阪桐蔭としては夏の再戦を望んでいただろう。
敗けていたと思われたままでは終われないから。
再戦が実現したら容赦しない。
そんな横綱相手に今度は情報を与えてしまった寝屋川がどんな戦略をもって、
また立ち向かうのか。
興味は大きく、是非、再戦を見たかったが、夏の再戦はなかった。
高校生活を野球に賭けて、名門校に入学した選手たちは同じように厳しい環境で野球をやる名門校と
実戦を繰り返し、高いレベルで野球をやって、実力を伸ばしたいからその選択をした。
高野連の主催する大会以外では、練習試合などで常に強豪同士で実力を測っている。
お金をかけて、遠征し、強豪校と相まみえる。
普通の高校は全国にも名が通るような学校とは練習試合を申し込んでも受けてもらえることなどまずない。
普通の高校は、そんな強豪校に申し込むことすら恐縮する。
強豪校は実力の劣る弱小校や普通の高校とは試合などしたくない。
面倒くさいと思っているし、その時間はもっと別に使いたいから。
予算、設備、指導者、選手、支援者と環境がなにもかも違う。
同じなのは高校生というだけ。
公立高校や中堅強豪校は高校生活の中の部活動という位置づけだろうが、
私立の名門は、部活動などという表現ではあてはまらないプロ養成機関や野球専門学校となる。
これらのチームが同じトーナメントでくじ引きというのは公平性を重んじて、
かえって公平とはいえない仕組みともいえる。