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ベールを脱がない大谷をつづける

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昨日つづけるとしてしまったのでつづけよう。

 

 

二刀流4年目、ベール脱いだ「16年型」打者大谷

 

 

巧みな言葉づかいでおおげさなものいいをしてさもたいそうなことのように言っている。

 

それらしく書いているが、中身は的外れだ。

 

一応、昨日記したことも振り返っておく。

 

 

「偵察中の他球団のスコアラーをも震撼(しんかん)させたのではないだろうか。」

 

 

 

他球団のスコアラーはとっくに大谷の打者としての能力を知っている。

 

軽く振っただけでもセンターのフェンスを越す打球。

打者に専念すれば、中核を担う素質。

 

今更、この2本を見たからといって震撼などしない。

しかも、大谷の打ち方は左中間に伸びる打ち方だ。

 

 

 

「注目すべきは引っ張りたくなるコースを、中堅から左方向に打ち返したことだろう。普通の打者ならコースに逆らった打撃となりかねないが、大谷は「中堅から左方向にいい打球が出るのはいい傾向」と、打者としての持ち味は左方向にあることを自覚している。またその技術もある。

 

 

ここでも大げさな物言いだ。

引っ張りたくなるコースとか逆らった打撃とか技術があるとかじゃなく、

大谷は打ちに行くとき、

右肩がぐっと入り、バットのヘッドが投手方向に向く。

自然、左中間へ行く打球が質のいい打球になる。

 

今季はこの傾向がかなり変わったが、一度つかんだこの感覚は

一瞬の対応の時に現出する。もともとの打ち方というものは

多少のフォーム改造をしようが、変わることはない。

 

それぞれの打者の感覚として

打ち分けるのに得意のコースというものがあり、

逆方向に打つことがいつでも即座に出来る感覚をもつ選手がいるのだ。

 

逆方向にいつでも打てる感覚がある選手は、インコースを意識している。

そこへ甘めの外の球が来ても勝手に体が反応して逆方向へ打てる。

 

大谷もこの感覚があるのかはわからないが、

打ち方はもともと逆方向へ打つ打ち方だ。

 

持ち味が左方向にあることを自覚している。というのはその通りだが、

引っ張りたくなるコースを左方向に打ったとか技術云々ということではなく、

そっちへ打つ打者ということ。

さらに差し込まれても大谷のパワーがあれば、飛んで行くのだ。

 

 

 

「投手とすれば、あのコースを左方向に持っていかれ、しかも本塁打にされたら、もう投げる球がないというほどショックを受けそうな内容だった。」

 


ひとつのコースを打ち返されたからと言って、即もう投げる球がないとはならない。

 

難しいコースを得意としていても、ど真ん中を案外打ち損じる打者や

緩い球が苦手な打者など打者の特徴で得意、不得意というものは存在する。

 

それは、配球によっても間合いによっても攻め方は無数に存在する。

 

また、同じところに投げてもその時の調子によっては打ち損じることがある。むしろ、その可能性の方が高い。

 

打者の成功などいつまでも続かない。この一回が一生に一度の成功の可能性すらある。

 

疲労が積る時期だったら同じコースに同じ球のもっと威力がない球を投げたって

ポップフライになるかもしれない。

打者の成功などがんばっても3割だ。

 

「広く、最も本塁打が出にくい球場の一つと思われる札幌ドームの左中間方向に連夜で放り込んだ。この事実はほかのどの球場の、どの方向にでも本塁打を打てることを意味し、・・・」

 

札幌ドームの左中間に放り込むと、

どの球場のどの方向にでも打てることを意味するという

理論は注目させたいだけで破綻。

 

プロの選手の大半がどの球場のどの方向にでも放り込める。

小柄な選手でホームランを捨てた選手や

打撃以外で野球をやっている選手の他は打つことは可能だ。

 

試合でそれを実践しないというだけの話だ。

それは確実性が極端に落ちるから。

 

さらに何度も言っているが、

大谷の打ち方は左中間に伸びる打ち方だ。

左中間に打ちやすいフォームなのだ。

 

それを、左中間に放り込んだからイコールどこにも打てるという理論にはならない。

 

「想像以上に大きな「打者大谷」が、おぼろげながらに姿を現し始めたことになるかもしれない。」

 

とはまったくおおげさな言い方だ。

もう大きな打者であることなどわかりきっている。

 

「いよいよ真価を発揮しそうな大谷の打棒・・・」

 

大谷の打棒が真価を発揮することはない。

兼任などやっているあいだに真価にたどりつくわけがない。

 

栗山の言う

 

「アベレージヒッターが少年野球の球場で打っている感じ」

 

 

とはおもしろい表現であり、わかりやすい表現だ。

 

 

「29日の野手としての出番は千葉での対ロッテの開幕戦で敗戦投手となって迎えたものだった。」

 

大谷は野手として出場などしていない。

打者としてだけだ。

 

 

 

「投打は相互に影響しない」

 

これは、この記者のことばではなく、大谷の発言らしいが、

投打は相互に影響するのだ。

 

この記事中では、精神的なことについてのようだが

肉体的には相互に足を引っ張り合う。

 

 

そして最後に

「二刀流の“本番”となる今季、どんな数字が残るだろう。」

と結んでいる。

 

野球を数字でからしか評価しないかのような言い方だ。

 

 

たしかに打者としての能力はまだまだ「輪郭の一部」しか

我々は目にしていない。

しかし、投手としての能力がある限り、大谷の打者としての能力は

全開することはない。

 

投手としての能力を全開するために生きるからだ。

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