審判への侮辱行為には敏感に反応し、退場宣告に躊躇しない、という事を記した昨日。
侮辱行為とするものには、選手がそのつもりがなくても一定の行動をとれば即座に退場宣告がなされる。
侮辱行為はスポーツマン精神に反するとしてこれ以上グラウンドに立つべきでない、
そしてその行為を戒めにて認識させ、反省、周知させるためにあるように思えるのだが、
即座に、一様に、機械的に発動される光景には、職権濫用にも見える。
自信をもって見逃したボール球をストライクと言われると打者はどこを通ったか確認したい。
それはバットで線を引く行為もそうだ。
しかし、これをやった瞬間、退場だ。
審判への侮辱という意識は過度に反応するものの、打者への保護はまだ意識が向いていない。
打者が退場を受ける場合はボールと思っているからだ。
それは、後ろで見る審判より打者の目の方がわかりやすいし、こういう場合ほとんど
打者の判断の方があっている。
つまり間違っているのは審判の方なのだ。
それなのに、強権は審判の方にあり、選手は無力だ。
打者はあなたのヘタクソを正してあげているのだから、無辱というよりむしろ感謝してほしいくらいだ。
未熟な技量で勝負の行方を左右しておきながら、
さらにヘタクソを棚に上げて退場などと言い出していたら恥の上塗りだ。
さらに、ボールをストライクなどとの決めつけは、打者が鍛えて身につけた選球眼への侮辱でもあろう。
日本も審判への侮辱というルールは浸透している。
この行為があったら、それは仕方ないよね、で済まされている。
得意のアメリカ追随で、不思慮に受け入れた悪しき習慣だ。
判定の機械化はさらに進む。
今の常識とされている審判の侮辱という慣行も、その時になれば昔はおかしかったね、ということになる。