高校野球では年間スケジュールが詰まり過ぎているという見方ができる。
甲子園に毎回出るような強豪校は大会が結構、頻繁にあるものだが、
そうでないほとんどの高校は大会が待ち遠しいものだ。
秋、春、夏の3回なら詰まりすぎということもないし、多くはないけれど、まあこんなものという感覚を受ける。
強豪でないチームが少ないと感じたり、待ち遠しく思うのは一度負けてしまえば終わりだからだ。
年間スケジュールが詰まっているのではなく、ひと大会のスケジュール自体が詰まっているのだ。
どこかで目にした記事に
「新チームになって、これから失敗を重ねて、チームの問題点を整理していかなければいけない時期に、もう明日なき戦いが始まる。彼らはいつ育成の時間を有するのだろうか。」
というものがあった。
チームの問題点を整理することなど、この程度の大会スケジュールでできないものでない上に、
大会があることはわかっているのだからそこを見つめてチームづくりの必要があるし、
失敗とは大会において経験するのものだからどんなに時間があっても、結局は明日なき戦いにならないと掴めない。
そして究極として、そもそも高校野球は野球選手の育成を目的としていない。
野球人生は高校時代で完成するものではない。
高校時代のたった2年数か月でつくりあげることは不可能であり、やり残したことだらけで
次の人生に活かすことしかできないのが高校野球だ。
ただ、ここまで巨大になった高校野球文化を文武両道や高校の部活動という意識だけで仕組みをつくっている現状は
歪と矛盾が多く存在する。
ここまで巨大になれば野球の技術向上や野球選手育成という目的の仕組みも考えざるを得ないし、
ファンや応援する人もそこを求めている人は多い。
というより、観ている側のほとんどはそうすべきと思っているのに、逆を向いているのは運営する人たちだけだ。
高校野球らしさのファンばかりじゃないということ。
ただ、その環境をつくるということは常に善処したいが、それを実現すると、
夏の甲子園一発勝負による涙という野球素人をも惹きつけてきた高校野球ファンが望む展開が薄くなってしまう面もある。