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高校野球の審判制度を棄ててみる

目に余る高校野球の判定のひどさに対する言い訳は二つと考えられる。

 

ひとつはアマチュアの審判なのだから間違いに難詰するのは、やりすぎで

間違えがあっても当たり前だとする意識を醸成させたこと。

 

もうひとつはボランティアでやってくれるありがたい存在に対して

文句を言うのはけしからんという意識を醸成させたこと。

 

こうして守られてきた審判も情報の発展によって、平然としていられない状況が作られだし、

さらし者にさえなってきた。

 

酷い判定は個人の資質によるものだけでないと思われる。

高野連を含む、高校野球先導ムラのコンセンサスだ。

そうでなければ、あそこまでてきとうと言えるレベルで放っておけるわけがないからだ。

 

そして世間の一部からは所詮、高校の部活動だからという免罪符を与えられている。

だが、部活動であるということは審判の低レベルとは無関係。

 

部活動に青春の多くの時間を費やす選手にとっては有限のこの時に人生を賭している。

人生の大事な貴重な時間を面識もない審判に操作される。

これのどこが教育の一環か。

 

審判への過度な要求や負担は、なり手がいなくなることつながるということも戒めへの制限となっている。

だが、いなくていい。

いない方がいい。

 

いなくて困ることはなにか。

やってみたらわかるだろう。

何も困らないのだ。

 

今のひどい判定より、はるかにいいことがわかる。

野球誕生以来、決められた位置に一人の審判が立つという慣習を見直せば解決する。

 

知恵を出して、新しくすればいいだけだ。

審判のなり手がいないことくらいで困らないし、その程度のこと解決するのはさして難しくない。

 

立場が上の人達、それは権力を持った人達が誤っていたら通常、世の中は悪へ向かって行くものだ。

学校の先生がデタラメ、間違いを教え、改めず、そのまま進めていけば、

生徒はもとより第三者でさえ身を退いてほしいと思うだろう。

 

人を殺すことも正当化される教義を広めている指導者がいたら、その教えは

なくなってほしい、改まってほしい、と距離を置くか、弾劾するだろう。

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