最後のPL学園野球部員は、少ない人数、プレッシャーの中、拍手を送りたい。
最後の一戦に限ってのことでなく、逆境の高校野球生活を全うしたに違いないその姿勢に。
桑田、清原を擁して
水野、江上の池田高校を粉砕して以来、高校野球に物心がついた私のような人間には、
PL最後の夏というだけで感慨が深い。
休部の大きな要因が、部内の暴力事件ということだから、
その組織の仕組み、運営が賎劣なものだったのかもしれない。
しかし、そこは外部の人間からはわからない。
だから、単純にPL最後ということだけに感慨を覚え、選手に情が移る。
最近は、PL野球部OBが、高校時代の過酷な生活を吐露することで、
その封建の仕組みが知れ渡った。
便所の水も飲んだ。とか、
同室の先輩を起こさないように目覚ましが鳴る数秒前の「カチッ」という音で起きる。とか
1億もらってもあの生活には戻りたくない。とか。
しかし、高校野球の象徴パーフェクトリバティ・PL学園の輝かしい栄光は、
私世代の人間への影響は多大だ。多くの男性の胸に去来するものがある。
PLの試合には2600人が訪れ、通路に人があふれ、外野席解放したそうだ。
高校野球の象徴・PL学園が休部するインパクトは、
100年の高校野球の歴史で高校野球が日本の文化になっている証拠。
誰もがPL休部に感慨が深いから、見届けたいわけだ。
PLの校歌は、初めてセンバツに出る際、急きょ作ったそうだ。
ある調査では、日本人の3割が知っているとか。
どう調査したのだろう。
人生はサヨナラで彩られる。