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日本の野球システム 高野連もいいこといっぱい

変わらない高校野球。変化を求めない高校野球支持者。

ここまでの巨大コンテンツであり、対抗する組織や仕組みも存在しない高校野球の

歴史は容易には変えられない。

異常とは言え、多くの人が迎合してきた取り組み、考え方は、変えないことがいいこともある。

いい意味でも悪い意味でも強固な伝統は、残っていく。

 

昨年、シーズンが終わった後、WBCの強化試合というものが行われ

野村-小林の広陵バッテリーが復活した。

甲子園の準優勝バッテリーが、プロの代表としてまたバッテリーを組む。

これは、二人のみならず二人を知る人たちもうれしいことで、大変な偉業だ。

二人がそれぞれ、しっかり、着実に成長してきた。

 

あの時、日本一がすぐそこまで来ていた二人が、その舞台をプロに移し、

雪辱は世界一奪回のWBCとなった。

こういうことが起きるということが日本の野球進路、野球文化の最も良いところ。

 

大学へ進学し、海外での最高レベルの野球にたどり着くため、早い道を模索している清宮だが、

すでに高校野球のレベルは超越した選手。

清宮は、技術だけ考えたら、高校野球を飛び出し、上のレベルへ言った方が有益だろう。

 

でも、チームプレーである野球は、同じ世代だけで構成されるチームメート、対戦相手と

二度と来ない青春時代に同じ目標をもつ経験は人間を大きくさせ、野球にも大きくプラスになる。

考え方が養われるから。

これにより人生に影響を与える。将来、必ず糧になる

 

清宮は、プロへ行くことが既定路線であり、高校野球は通過点のはずだが、

夏敗れたときのコメントは

「3年生ともうできない。悔しいです。自分たちを背中で引っ張ってくれた人たち。金子さん、副キャプテンの吉村さんは泣かずにすがすがしい顔をしてて、自分たちは頼り切っていたんだなと。(甲子園に)連れて行きたかった」

さらに

「西東京を勝ち抜くのが一番難しい。今年、改めて難しさを実感させられた。甲子園は本当に遠いところ。この経験、この悔しさを共有して、日々練習に取り組んでいきたい」

同じ高校生として同じ目標に同じ時間を共有した者同士が別れを告げられる寂しさ。

自分より実力が劣る選手であっても一緒に濃い時間を過ごした仲間との別れはとても寂しい。

野球どうのこうのより、濃い時間をすごした人間のつながりを知ることになり、

人生の肥やしとして次の勝負への意欲につながっていく。

 

人間のつながりが、野球という遊びを凌駕して胸にしみるから涙に暮れるのだろう。

 

人間としての成長に野球というツールを利用しているのだ。

そしてその人間としての成長が野球の技術向上にも生きてくる。

今まで一所懸命やってきたのにいきなり終わりを告げられるその人生最上級の虚脱感、脱力感は、

その選手のこれからの糧になる。

 

たった2年数か月の出来事なのに、この高校野球という共通の話題を、

同じ時間を過ごした人と話しても、そうでない違う世代の人と話しても、

話題は尽きることなく一生語り合える。

 

それだけ、濃い時間であり、人生に必ず影響を与える。財産となる。

高校生という枠組みにこの仕組みをあてはめたことが、予期せず、大きなうねりとなった。

野球を志した先輩の所業を継いできた100年間の選手たちのおかげで大きな文化に発展した。

 

高校野球は、

高校生活という限られた二度と戻らない時間の中で行われること。

味方も相手も同世代の人間で行われること。

考えも体も未熟だが、多くの時間をそこへつぎこむこと。

大人の感覚も持ち合わせてきて、とても感受性が高く、吸収力のある時期に入魂すること。

このような境遇は人生の中でこの時しかない。

故に特別な連帯感が生まれるものなのだ。

 

今、プロで活躍する選手の中にも高校野球のたった1試合のために

つぶれてもいいと賭ける選手が多くいた。

 

冷静、沈着な振る舞いが印象的な大谷すら甲子園で負けたときは号泣だった。

 

大谷が背中を追って選んだ花巻東の激情家の先輩・菊池はいわずもがな、

ここで野球人生が終わってもいいという感情さえ湧き起ってしまった。

 

前田は、大阪大会で温存敗退してしまい、立ち上がれないほど泣き崩れた。

 

ヤンチャなイメージがある森も。

 

クールなイメージがあるダルビッシュも。

 

王は、プロ野球はもういいが、高校野球は、もう一度やってみたい。と言った。

 

日本を代表する野球選手たちが、二度と来ないこの瞬間に涙してきた。

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