日本の殿堂など当たり前、野茂英雄の米国野球殿堂入りと「背番号11」の永久欠番を!
野茂が海を渡ってから約20年がたつのか。
野茂は当初、近鉄に複数年契約を申し入れたところ
揉め、近鉄球団から追い出されるような格好で渡米したというイメージだ。
大リーガー野茂が三振や勝利数といった個人記録について口にした記憶がまったくない。
ノーヒットノーランを達成したときも
「チームが勝ったことが1番良かった。」
目標を聞かれても
「ワールドシリーズに出ること」
と、勝利こそ絶対命題であるスポーツに最もまっとうな精神を宿した選手といえるので
最年少殿堂入りは当然であり、今後の野球界に影響を及ぼしてほしいものだ。
イチロー、野茂と野手と投手の大リーガーパイオニアの二人のボスであった
故・仰木監督は
「二人に共通するのは頑固。野茂のほうが少し上かな。」
と言っていたのが印象的だ。
イチローのプロ初ホームランが野茂からというのも
野球の歴史におけるおもしろい話のひとつ。