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小説より奇なるドラフトのドラマ

昨日は大谷ドラフトにはシナリオがあったのではと邪推した。

 

過去のドラフトにおいてもドラマや暗躍があり、そのたびに話題をつくったことで

ドラフト制度はひとつの興業として野球人気に一役買う役割を果たしてきた。

 

その中でも最も運命を左右されたと言っていいKKコンビのドラフトドラマ。

 

それがどうして起こったかというと。

 

1年生エースと1年生4番として鮮烈なデビューを飾り、

その後、名門・PL学園を5期連続甲子園出場に導き、2度の全国制覇という

高校野球史上最高の実績を残した2人。

 

2人とも1年生だったということがインパクトを大きくさせた。

 

桑田に至っては4月1日生まれなのであと一日誕生日が遅く4月2日生まれだったら

清原より1学年下ということになる。

 

それでも1年生で夏全国制覇をしたのだから中学生が全国の高校生を破ったとも言えるのだ。

 

桑田の身体能力、運動神経、野球センスが特別だったことを物語っている。

 

私もこの頃、食い入るように甲子園大会を観たものだ。

 

桑田は感情を表に出すということがなく、とてもクールに映った。

 

今、思い返すと

PL学園という名門高校において1年生からレギュラーだったため、

先輩に気を使いながらの野球を強いられていたのだろう。

そのため派手なパフォーマンスは控えていたのではないかと推測される。

 

私は桑田の勝ってもガッツポーズをしない、負けても泣かない姿がとてもかっこよく、憧れた。

 

そんな2人が最後の夏、見事に全国制覇をし、いよいよ進路に注目が集ることになった。

 

ちなみにこの全国制覇したメンバーから内匠、今久留主、松山がのちにプロ入りしており、

計5人がプロ入りしていることになる。

 

さらに2つ下として1年生だった立浪、野村、片岡、橋本がプロ入りしている。

 

このチームがどっちが強かったかという問いに片岡が(多分)

「1試合ならわからないが、3連戦なら私たち世代が勝ち越す。」

と清原に言ったそうだ。

 

当時、野村、橋本、岩崎というエース級3枚を擁していたのでこの発言になったのだろう。

 

桑田は早くから早大進学を表明。

清原は巨人入団を切望という図式が出発点であり、

この2人の意識が大きなドラマを生み出すことになるすべてと言っていい。

 

巨人は王監督をはじめ現場サイドでは清原の希望通り指名すると公言していた。

 

しかし、西武には当時、策士・根本がチームの改革に乗り出していた。

 

根本はそれまでに、

ドラフト外で秋山を獲得したり、

社会人に進むはずの工藤をドラフト6位で獲得したり、

熊本工業の伊東を所沢に引っ越しさせて練習生として迎え、翌年ドラフト1位で獲得したりと

フロントとして辣腕を振るっていた。

 

そして・・・

 

途中から脱線してPL学園の話になってしまった。

またあす以降に。

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