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思い出甲子園XI

11回目になった私の思い出甲子園。

 

福岡第一の前田と山之内が人気になった88年夏の大会は

もうひとり高校NO.1スラッガーともいわれた選手がいた。

江の川高校・谷繁だ。

 

江の川高校という聞かない名前に大物打者がいるということで

私はひそかに応援し、江の川高校はベスト8まで進出する。

そして福岡第一に敗れた。

 

西のスラッガーが谷繁で東のスラッガーが江藤だったそうだ。

 

江藤は関東高校という高校(関東一高とはまったく別の学校)で全国には全く無名の高校だが、

その名は全国にとどろいていたんだなあ。

 

江藤は私の出身地のとなりの町の出身なので有名だ。

 

谷繁は私が中学生の時の甲子園のスターだ。

それが、いまでも現役というのだから長いこと野球ばかりやっている人だ。

ちょっとうらやましい。

 

その次の年は上宮高校・元木が出てきた。

 

元木は甲子園でも通算6本のホームランを放ち、清原以来の大物打者という印象を受けた。

 

しかし、その元木もドラフトでは切望していた巨人に回避され、ダイエーの外れ1位となった。

 

元木は拒否し、1年浪人を選択する。

ハワイだかで1年間ドラフトに備えるのだが、浪人中の元木の様子をニュースステーションで放映した際、

少し太っていた。

 

すると久米宏は

「野球するために行っているのになんで太るんだ?」

とつぶやいたことを覚えている。

 

元木は清原並みの打者だと中学生の私は思っていたのに

ドラフトでのこの評価は、プロは高く見ていないのかと不思議に思ったものだ。

 

前年の山之内の下位指名同様、ここでもプロの評価に疑問を持った。

 

しかし、プロの見た目はここでも鋭かった。

 

元木は巨人に入団すると高校時代のスラッガーから曲者と呼ばれるバイプレーヤーへと変貌した。

 

元木と同世代の前田智、小久保、新庄、仁志のほうがプロでの実績がある。

 

この世代の夏の甲子園優勝ピッチャーの帝京・吉岡は、

高校日本代表で対戦する各国の相手を見ても

「どの国の打者よりやはり元木がNO.1」

と言っていた。

 

その吉岡もプロでは野手転向し、元木より実績がある。

 

そして上宮高校の同僚・種田も元木より実績がある。

 

元木は期待とは裏腹にプロでの成長が見られなかった選手であり、

プロのスカウトの目は人気先行の選手と見ていたのだろう。

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