毎日野球コラム - 野球コラムサイト -

思い出甲子園XV

私の思い出甲子園15回目。

 

甲子園練習で松井のバッティングを見たとき

明徳・馬淵監督は

「こりゃうちのピッチャーじゃ抑えられない」

と悟ったそう。

 

たしかに

その体格、スイングスピード、パワーはすでに一人高校生のレベルを超越している存在だった。

大学生以上のレベルでなければ釣り合わない存在だった。

 

そしてあの5連続敬遠。

大きな反響を社会に与え、明徳は完全にヒールとなった。

 

しかし、敬遠は作戦だ。

 

高校野球らしくないというのも大人が勝手に植えつけたイメージに過ぎない。

 

非難するならばルールを非難しなければならない。

 

ルールで可能となっている作戦ならば、当然それを駆使して勝利を目指すのが

スポーツマンシップであるから。

 

敬遠されればひとつ塁をもらえるというインセンティブを受けられる。

得点のチャンスになるわけだ。

 

そこを得点できなかったこと、

明徳からすれば塁を与えても失点しなかったこと、

星稜のチーム力より明徳のチーム力が上回った、という勝負だったのだ。

 

星稜にひとつ、無条件で塁を与えたら怖いという打線だったらそもそも敬遠していなかったのだから。

 

5度も敬遠を繰り返せば非難が巻き起こるのはわかりきっていたのにもかかわらず、

敢行した馬淵監督は高校野球監督という自らの人生のために

そして監督としての商品価値を上げるためにとった作戦という印象を受ける。

 

馬淵監督の最近の甲子園で敗れた後のインタビューでも

「今年は力不足のチームだった。次は、また鍛え直してチームを作り直す。」

との発言を聞き、

その大会で終わりを迎える3年生へのねぎらいよりも

毎年やってくるチーム作りに常に頭が行っている高校野球というマーケットに身を置く

職人監督という印象を受けた。

 

だからこそ

5連続敬遠の作戦をとったこともうなづける。

 

残念なのは明徳の選手が勝っても喜べず、悔いを残しかねない状況になったこと。

 

勝つために最善を尽くすことこそスポーツマンシップであり、相手への敬意だ。

 

そしてそれこそ当事者たちの人生訓になるはず。

野球というスポーツの存在意義があるというものだ。

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

傑作コラム

TOP