昨日と一昨日で戦力外の選手を取り上げた。
それとは真逆で海外へ意気揚々と渡る日本の左腕エース・菊池は希望に満ちている。
後輩の大谷に先を行かれているので内心には見返したい気持ちはきっとある。
菊池は高校3年生の甲子園で腰に手をやる姿が目立った。
それでも投げていると肋骨が折れていたそうだ。
その時は、これが最後の試合になってもいいから投げぬきたいとマウンドに上がるも
連打を食らい、大差の敗戦で号泣した。
あの時、壊れてもいいと、本当に壊れていたら今の菊池はないわけだ。
それを今、振り返ったら本人はどう思うのだろう。
壊れず済んで良かったと思うのか、壊れても仲間とともに笑顔で終わった方が良かったと思うのか。
それは、それがあったから今があると思うだろう。
あの時思った気持ちと発言は偽りではない。
年齢や状況、経験で最高潮に達する気持ちがある。
それがあるから、次がある。
高校野球のように一発勝負で期間が決まっており、その時の調子で優劣がついてしまう仕組みは
菊池のようにケガで思うように動かない体の場合、仕切り直してもう一度やらせてくれ
という気持ちになる。
それも実力ではあるものの、うまく行かず点差ばかりが開いて行く試合展開にはイライラが
募ってしまうのが選手の心情。
点差が開けば、自チームと相手チームの力量をはかりにかけて、もうこの試合無理だと思ってしまえば、
あきらめに至る。
それは、根性とかでどうにかなるものでもない。
どうにもならない現実に
地団太を踏み、もう一回やらせてくれという気持ちになる。
菊池の壊れてもいいという発言と、号泣はそういうことからだろう。
だから、これも人生。
それがあるから今がある。
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