昨日、9回、同点に追いつき、延長戦で敗れた石見智翠館。
指揮を執るのはPL学園出身の末光監督。
末光監督は元ヤクルト・宮本と同期で二遊間を組んでいたそうだ。
宮本は前の代の立浪、片岡、野村、橋本らと唯一の2年生として試合に出場し、
春夏連覇を達成した。
ところが、この末光監督や宮本の代のPLは春夏連覇した前代から一転、
甲子園出場もならなかった。
一方、この末光監督が率いることになった石見智翠館の前身は江の川高校。
この江の川高校、つまり石見智翠館は末光監督がPL学園3年生の時、
甲子園に出られなかった31年前、ベスト8まで進む快進撃を見せた。
この時の中心選手が谷繁。
谷繁は広島出身で、広島のいくつかの強豪校からの誘いがあり、その中から
県立の広島工業へ進学というか、野球部入部を決めていたが、まさかの入試不合格。
行き場を失った時に2次募集という形で越境となる島根の江の川に入ることができた。
谷繁は江の川でキャッチャーを務めることになり、3年時の島根県大会で5試合
7ホーマー。山陰の呂明賜と言われることになる。
末光監督は天下のPL学園で3年時、甲子園出場なし。
かたや、石見智翠館はその時、偶然とも言える形で入部となった谷繁を擁して
甲子園でベスト8。
石見智翠館のユニフォームは、今はなき、PLを彷彿とさせるものだ。
末光監督となって石見智翠館は20年以上が経つようだ。
そして江の川高校から石見智翠館になったのが2009年。
つまり、この時ユニフォームを一新したのかもしれない。
その時、すでに監督だったのでPLのユニフォームに似せたのだろう。
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