接戦の終盤で勝利を大きく引き寄せるであろうホームランには奇妙な現象が起こる。
それが打った瞬間、ホームランとわかるようなものは特に顕著であり、カオスの瞬間が起きる。
今行われている日本シリーズでも登場した。
それは第5戦の吉田のサヨナラホームランで現れた。
打球に飛距離が出るほど、快心の放物線であるほど、ウォーという歓声とともに、
どこまで行くんだ、と打球に視線が移るものだ。
ほぼ全員が打球の行方を見ている。
敵も味方も。
この時、飛距離が出るほど、快心の放物線であるほど、見ない人がいる。
それが打った張本人の打者だ。
多くの場合が自分が打った打球はどこへ飛ぶのか、どれだけ飛ぶのか、抜けるのか、捕られそうなのか、
自分はセーフになることができるのか、と打球を追うものなのだが、飛距離が出て、
快心の放物線は見ずともホームランが約束されるので見なくなる。
それが試合を決めるホームランだったりすると勝利を味方と共有しようとベンチへ視線を移す。
こんな時、その打者はベンチを指さしてアピールしたり、バットを放り投げ、雄叫びを上げたりする。
吉田も打った後、打球からは視線を外し、ベンチへポーズをとった。
打った本人が確信している時、視線が打球を追う中、打者だけ別を見る。
こうして一瞬、球場内にカオスが生まれる。
全員が注目している方向を、それをやった本人だけが見ていないという。
一塁側のベンチへ視線を移した吉田を一塁側からのカメラが喜んでいる姿にフォーカスする。
その後ろには三塁側の客席が映る。
この瞬間、観客は打球の行方を追っている。
「行くか?」とか「あっ行った!」という表情で、まず100%と言っていいだろう、打球を追っていた。
ところが、すでにホームランを確信している吉田は一瞬、打球を追うことより自軍ベンチへのアピールをした。
だからここを捉えた一瞬は、打者も観客もホームランに酔っているのに見ている先が違うという
アンバランスというか、雑多な風景になり、とてもおもしろいカオスが誕生するのだ。
打球が飛んでいる間は観客はその打球を万歳や笑顔で追うことになり、
行きつくまで打った本人の方を見ることをしない。
その歓喜を生んだ、まさにヒーローである彼を無視して盛り上がっているわけだ。
この数秒間はヒーローを崇めないのだ。
ホームランは滞空時間という特殊性で結果が確定するまでの時間が長いためカオス状態が長いもの。
ゴルフのドライバーショットはそれ以上長い。
快心の当たりを追うギャラリーとは反し、打った張本人はティーを拾っていたりするから。