決勝の最終回の大谷を“泥だらけのストッパー”と表現した。
プロの試合でリリーバーが泥のついたユニフォームで登場することなどない。
泥だらけは言い過ぎで、ズボンに土がついているだけだが、その表現の響きの良さと
外野のブルペンから真打ち登場という絵面の良さで、筋書きのあるドラマのようにバエた。
大きい身体で世界一のプレーヤーが最後を締めにゆっくり歩いてくる姿は
まさにドラマのワンシーンであり、栗山の筋書きは見事だった。
栗山の采配は総じてダメだったとこの場では多岐にわたり記してきたが、演出という面では
至る所で持ち味を発揮した。
苦戦にさせたことも、盛り上がりを大きくしたので、むしろダメ采配が名演出だった。
これだけの人材を集めれば、あれだけダメな采配でも勝ててしまうのだから誰が監督でも勝てた。
だから、栗山の仕事はこれだけの人材を集めた、ということが最も大きい。
そもそも栗山に白羽の矢が立ったのは大谷を代表に呼ぶためだった。
だが、そうでなくても大谷は代表入りするつもりだっただろう。
吉田や鈴木といったアメリカ組もそうだ。
彼らは子供の頃、日本の優勝を見て感動した選手たちだから、監督が誰であれ、身の置き所がどこであれ、
最優先で代表入りを決めていた。
まさに、次世代へつなぐ、紡ぐ、ということが手に取るようにわかる大会だった。