前回WBCで日本中を熱狂させた栗山監督の大会通じての演出は見事だった。
その栗山元監督の出世は稀有な例と言える。
ここまで球界で駆け上がった人はいないと言えるほど。
一般に野球人生の成功は現役中の好成績によって成り立つもの。
ところが、現役を退いてからどんどん名を上げて行った。
東京の強豪校、創価高校のエースとして甲子園出場経験はなし。
先生になろうと学芸大に進学。
大学進学はあくまで先生になるためだから、強くはない学芸大野球部なら野球を続けてみようか、
という程度のものという印象を受ける。
すると大学野球で順調に実力が伸びたので、好きな野球で立身を考えるに至ったのだろうと思われる。
プロに行くなどと頭になかったけど、大学での自分の実力の伸びの実感、
他選手との比較から、プロにチャレンジしてみようという気になった、という印象だ。
幼少の頃より野球を志した人間がプロになれるチャンスがあるのに、
それを逃す選択はまずしない。
かつて慶応のエースとしていまだに破られていない六大学連続イニング無失点を記録した志村は
プロで通用しない、と自身で見切り、1位指名有力の実力なのにプロを拒否した。
とりあえず、プロに行って3年くらいやってみて、それから就職しても遅くないと思われるのだが。
決まっていた就職先もそれくらいは待ってくれるだろう。
むしろ、ドラフト1位ピッチャーが来てくれれば会社にとってもメリットの方がありそうだ。
ミスターアマチュアと言われた杉浦はドラフト1位の実力があったものの、
当時アマチュア最強だったキューバに勝つためにオリンピックにこだわった。
今はプロが日本代表となるので、この時代なら杉浦はプロを選択していたと思われる。
今の時代がうらやましいだろう。
いや、プロの国際戦ならば、杉浦も打倒キューバこだわらなかったはずだ。
オールプロでアマチュアキューバを倒しに行っても高揚はないから。
そもそもそうなっていたら、キューバの常勝もなかったはずだから
目標にもならなかったはず。
さて、栗山の出世の話に戻すと。
先生になるために入った大学で野球の力がついてしまった栗山は野球での立身を志すに至り、
プロテストを受け、ヤクルト入団を果たす。
俊足を生かした外野守備と走塁、そしてスイッチヒッターとしてレギュラーにまでなった。
創価高校ではエースだったのだから肩もあったはず。
しかし、レギュラー期間はそう長くなく、病を患い、若くして引退した。
ところが、ここからが栗山の稀有な野球人生だ。
現役期間が短かったにもかかわらず、国立大学へ進学した頭脳を活かし、
タレント解説者として異彩を放ち、売れっ子となる。
野球選手には珍しい理路整然とした喋り口調は重宝された。
野村には「結果論を語らせたら抜群」と皮肉を言われていた。
その後は、胸の中にいつもふつふつとあった教壇に立つという若い頃の希望の機会も得た。
すると日ハム監督に就任。
しかも10年もの長い間、務める。
そして何と言っても大谷との出会いだ。
大谷の海外志向を翻意させる、ピッチャーと打者の兼任というウルトラCを考え出す。
そしてついには大谷を世界のスターに育てた監督として、その発想と育成に白羽の矢がたち、
全日本の監督にまで上り詰めたわけだ。
栗山の大きな仕事は大谷をWBCに呼ぶということとされている。
大きな経済効果が見込める大谷参加を実現させるのに、
もっとも有効な手立てが栗山を監督にするということだった。
ただ、あの時の大谷は誰が監督であろうと参戦していただろう。
名選手が名コーチや名伯楽ではないものの、引退後にここまで出世した人はいない。


