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思い入れあふれるデザイン

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高知中央の監督はPL出身の山野監督。

PLを模したユニフォームは話題になった。

山野監督は桑田と清原のひとつ下だそうだ。

 

監督が母校に思い入れが強いとユニを変えることがよくある。

石見智翠館の指揮を執るのもPL学園出身の末光監督。

石見智翠館のユニフォームは、今はなき、PLを彷彿とさせるものだ。

 

末光監督は元ヤクルト・宮本と同期で二遊間を組んでいたそう。

山野監督と末光監督は2つ違いということになるから、高校時代同じ時を過ごしたことになる。

今はなきPLへの思い入れが両者に出ているのだろう。

 

宮本は前の代の立浪、片岡、野村、橋本らと唯一の二年生として試合に出場し、

春夏連覇を達成した。

 

ところが、この末光監督や宮本の代のPLは春夏連覇した前代から一転、

甲子園出場もならなかった。

 

一方、この末光監督が率いることになった石見智翠館の前身は江の川高校。

この江の川高校、つまり石見智翠館は甲子園に出られなかった末光監督が

PL学園三年生時の37年前、ベスト8まで進む快進撃を見せた。

 

この時の中心選手が谷繁。

谷繁は広島出身で、広島のいくつかの強豪校からの誘いがあり、その中から

県立の広島工業へ進学というか、野球部入部を決めていたが、まさかの入試不合格。

行き場を失った時に二次募集という形で越境となる島根の江の川に入ることができた。

 

ちなみに県立広島工業は高津と新井という現役のプロ野球監督が同時に二人も輩出している。

 

谷繁は江の川でキャッチャーを務めることになり、三年時の島根県大会で

5試合7ホーマー。山陰の呂明賜と言われることになる。

 

末光監督は天下のPL学園で三年時、甲子園出場なし。

かたや、石見智翠館はその時、偶然とも言える形で入部となった谷繁を擁して
甲子園でベスト8。

 

末光監督となって石見智翠館は25年以上が経つようだ。

そして江の川高校から石見智翠館になったのが2009年。

 

つまり、この時ユニフォームを一新したのかもしれない。

その時、すでに監督だったのでPLのユニフォームに似せたのだろう。

 

京都の平安高校は龍谷大平安と名が変わったとき、

ユニフォームの変更案が浮上したが、監督が頑なに反対した。

 

こちらは似せるのではなく、変えないという思い入れだ。

次週へ。

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